投稿日:2023年7月15日
最終更新日:2024年3月7日
小説カタカムナ物語

カタカムナ短編小説「私の思いが世界を創る カタカムナ」

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WRITER 池亀みどり
カタカムナ学校3期5期卒業
2022年末カタカムナ小説を書こうと思い立ち、2023年1月に書き始めました。 どんな話にするのか話の中身を全く考えていなかったにもかかわらず、パソコンに向かうと言葉が浮かんできました。毎日同じようにして続きを少しずつ書いていきました。 気づくとストーリーのようなものができつつありました。最も気を遣ったのは、読み解きの個所です。吉野信子先生の読み解きの個所は、録画を何度も見てそれでもわからないところは直接質問して確実にしました。 自分が既に読み解いていることを小説に取り入れたり、書きながら話の内容に沿った読み解きが生まれていきました。 そのようにしてストーリーを繋いでいき、2023年6月にようやく書き上げることができました。 完成した小説を吉野信子先生に送り、読み解きを確認していただいたところ、読み解きの確認どころか、事務局長共々小説の校正までしていただいた上、吉野信子オフィシャルサイトに掲載していただくという展開になり、カタカムナ学校3期生及び5期生としてカタカムナを学んで本当によかったと思うと同時に、吉野信子ご夫妻の深い愛に触れ、感動と感謝の気持ちでいっぱいです。 私のこのカタカムナ小説をできるだけたくさんの方々に楽しんで読んでいただくことで、カタカムナが世界中に広がって、人々が愛と平和で満たされ生きる愛の地球が現象化することが、私の望みです。 そのテーマを深めるためにも次回作をああでもないこうでもないと妄想しております。 私の初めてのカタカムナ小説をオフィシャルサイトに掲載してくださった吉野信子先生、そして私のカタカムナ小説を読んでくださった皆様に感謝申しあげます。
カタカムナ短編小説「私の思いが世界を創る カタカムナ」

カタカムナ短編小説「私の思いが世界を創る カタカムナ」

「私の思いが世界を創る カタカムナ」の短編小説の作者である「池亀みどり」さんは、カタカムナ学校3期、5期を卒業されました。カタカムナ学校は、1期1年で卒業ですが、卒業後一年間は復習期間として授業動画を視聴でき、聴講生として次期の授業にも参加できますから、連続4年間、吉野信子のカタカムナを学ばれた方です。その中で身につけられた読み解き技術を縦横無尽に駆使し、小説の中で自分が遭遇した出来事を読み解かれています。この小説をじっくり読めば、カタカムナの読み解き技術が具体的に理解できるばかりではなく、やがては同様な手法で、読者ご自身も、読み解き技術を身につけることができるようになるでしょう。もちろん、読み解き技術を向上させるためには、言霊、数霊、形霊の詳しい法則や原理は、本や、カタカムナ学校で学ぶ必要もあるかと思いますが。

以前、国語の先生をされていたというみどりさんは、ある日突然、「私、今、カタカムナの小説を書いています。」とカタカムナ学校の仲間に公表されました。私はビックリして、「カタカムナを題材にした小説って?・・・とにかく完成したら是非、読ませて下さいね!楽しみにしています。」と答えました。それを聞いていた卒業生、同期生も、「わあ~、楽しみ!頑張ってね!」と声をかけていました。そしてようやく、この度、「小説が完成しました!」と仰るので、読ませて頂きましたが、短編ながらもとても良い構成で、登場人物の心理描写や、最後には、「あの世」と「この世」、そして「神の世」までも繋がっているコトを感じさせる余韻を残して、完結していました。そして、上記にも書きましたが、何よりも「カタカムナの読み解き技術」がストーリーの中で網羅されていることで、カタカムナの教育書としての役割を果たして頂いていると感じました。
吉野信子のオフィシャルサイトを訪れて頂いた多くの皆様に、是非、読んで頂きたい小説です。
感謝♥

プロローグ

龍・竜・劉・柳・流・留・立・隆・溜・硫・瑠・琉・瘤・粒

これらの文字は全てリュウと読む。
リュウが生まれた時、私はリュウという字をどの字にしようかと思い迷った。思い迷ったあげく漢字の名前にするのをやめて、リュウという音をそのまま感じることができる「リュウ」とカタカナで書くことにした。それでやっと落ち着いた。

玄関の扉を開けると、冬空の西北の方向に白くて長い雲が見えた。しかもその雲は早いスピードで南に向かって動いていた。その動きは明らかに雲の動きではなかった。飛行機にしてはありえないほどの大きさであり、スピードは飛行機よりかなり遅かった。よく見ると進行方向の先端が頭のような形をしており、進行方向と反対の一番後ろはまるで尻尾のようだった。
その時頭に浮かんだのは、「龍」という言葉だった。
私はその日リュウを身籠り、大空を駆け巡る白龍を夢見て十月十日を過ごした。

秋晴れの日曜、私はリュウをベビーカーに乗せて動物園へ連れて行った。
その頃リュウは八か月で、ハイハイをしながらリビングから一段高くなっている洗面所の段差を上ったり下りたりして上り下りの練習をしていた。
「リュウ気分転換にお外へ行こうか」声をかけるとリュウが私を見て笑った。
動物園の入り口から十メートルくらい歩いた所に象がいて、飼育員さんからの餌を鼻で上手に受け取り食べていた。象がいる場所と見物客がいる場所とは、直に接することがないように溝と柵が設けられていて、適度な距離が保たれていた。
「ぞうさんだよ」とリュウに話しかけながら象が見える位置にベビーカーを押すと、リュウがベビーカーを揺らしながら喜んでいることが伝わってきたので、私は何度も何度も象を指さしながら、
「ゾウ、ゾウ、ゾウ」
リュウに聞こえるようにゆっくりそしてはっきり発音した。その時の私は、これっぽっちもリュウが話すことなど期待していなかったにもかかわらず、リュウは初めて人に伝える単語を口にした。
「ゾウ」と…。

ガネーシャ

「ねえ、キミコさん、ガネーシャっていうインドの神様って頭が象なの知ってる?」
5年生のリュウは、今インド神話に夢中だ。そして母親である私のことを最近時々「キミコさん」と呼ぶ。
「ガネーシャは、お父さんのシヴァに首を切られたんだけど、お母さんのパールヴァティがすごく怒ってシヴァと戦おうとしたので、シヴァは慌てて首を探しに行ったんだ。だけどガネーシャの首が見つからなかったので、代わりに近くにいた象の首を切ってガネーシャの首にくっつけたんだよ」
今日のリュウはとてもおしゃべりだ。
「ガネーシャがかなり気に入っているみたいだね」と言うと、リュウはちょっとカッコつけて、
「そんなこともないけど、面白いんだよね。何か聞きたいことがあったら何でも聞いてよ」と答えた。
「仏教では、ガネーシャは、仏教を守護し財運と福運をもたらす神として、聖天(ショウテン)・歓喜天(カンギテン)と呼ばれているって知っている?」
「もちろん知っているよ。ガネーシャは、悪神が十一面観世音菩薩によって善神に改宗したんだ。それからお父さんに首を切られて象の首に挿げ替えられたことで、なんかすごくパワーアップしてるんだよ。ガネーシャは」
「結果的に、お父さんに首を切られて象の首になったことは悪くはなかったということだね。」
私は何気なく言って、はっとした。
リュウは父を知らない。生まれてこの方いつも私とリュウそして私の父親のサダオさんの三人で暮らし、リュウに父という存在がいたことは一度もなかった。
そんな私の思いが伝わったのか、
「夏休みの自由研究は、阿修羅について調べることにした。阿修羅はもともとアスラというインドの神様なんだ」
リュウは話題を阿修羅に変えた。
こういうところがリュウの子供らしくない気の使い方なのだけれど、私もそれに乗っかって、ガネーシャの話など忘れたかのように、
「それじゃあサダオさんの誕生日祝いを兼ねて、三人で奈良旅行としゃれこんで興福寺の阿修羅像を見に行くか」

阿修羅像に会いに行く

昼過ぎには近鉄奈良駅に着いたので、駅近くの予約した宿に荷物を預けて腹ごしらえした後、興福寺に向かう。
国宝館に入ると、リュウはためらうことなく阿修羅像に近づいていった。
美しい、そして何よりも清らかさを感じる。身長はリュウと同じくらいで正面の顔は、何かを決意した凛々しい若者の表情のようだった。しかし左向きの顔、右向きの顔とそれぞれ表情の違う顔が三つあり、手もそれに合わせて6本ある。                              
それぞれの表情は、戦いの神である阿修羅が仏教に帰依して悟りを開いていく様子を表しているという説もあり、また向かって左の顔は幼年期の阿修羅で、唇をかみしめたまま自らの過ちを認められない反抗的で感情的な表情を表現しており、向かって右の顔は少年期の阿修羅で、過ちに気づいて悩み懺悔している思春期の表情を表現していて、真正面の顔は青年期の阿修羅で希望を見出して悩みから抜け出しつつある表情を表現しているという説もある。
いずれにせよ、その澄み切った表情に若者のひたむきさを感じる。眉根の奥にはいったいどんな思いを秘めているのだろう?阿修羅像を食い入るように見つめているリュウは何を考えているのだろう?
阿修羅像を前にすると様々な思いが湧いてくる。
自由研究の対象である阿修羅像の前で、私もリュウもたっぷりと時間を過ごした。
国宝館で販売していた「阿修羅を究める」という本をリュウが買おうとしているのを見たサダオさんは、
「おじいちゃんが本を買ってやる」と言って代金をリュウに渡した。
「おじいちゃんありがとう」
本を抱きかかえているリュウは、まぎれもない十一歳の少年だった。
「二人は仲良くおじいちゃんと孫をやっているね」
「お母さんには僕がソフトクリームを買ってあげるからすねないでね」と上から目線のお言葉。
その後は東大寺に向かいけっこう歩き回ったので、翌日に備えて夜は早めに就寝。
翌朝は鮭の塩焼き・厚焼き卵・ほうれん草のおひたし・冷やっこ・お漬物・お味噌汁等の普段食べることがない朝食をしっかりいただき、チェックアウトした後荷物を預けて平城宮跡に向かう。
「わぁ、すごく広い」
リュウが興奮気味に朱雀門に向かって朱雀大路を走っていく。
私もリュウに引きずられて風を感じながら速足で歩く。
サダオさんも日常から解放された表情でリュウの後をついていく。
どうやらリュウは、たくさんのテントが張られているイベント会場らしき方へと駆けて行っているようだ。
リュウの行き先がわかったので、私とサダオさんは歩をゆるめた。
少し曇っているのと風があるせいか、想像していたほど暑くはないが、それでも少し歩いただけで汗が滴り落ちる。木陰になっているところにベンチがあったので、ここからならリュウの動きも見えるから少し休もうということになった。
私は自動販売機を探して冷たいウーロン茶を買いサダオさんに渡した。
サダオさんの表情に少し疲れが見える。
「お父さん疲れていない?」
「そうだな、少し疲れたかな」
気がぬけるほど素直な答えが返ってきた。
「じゃあ冷房の効いたところで少し休もうか」
「今冷たいお茶を飲んだので、少し元気がでた。リュウが戻ってきてからカフェにでも行こう」
二十分ばかりするとリュウが戻ってきた。
「おじいちゃんが疲れたみたいなので、涼しいカフェに行って休憩しようと思うんだけど、リュウも行く?」
いつもなら「ソフトクリーム食べたーい」と真っ先に言うリュウの様子がおかしい。
「どうしたの、リュウ疲れたの?」
「なんかすごく変なんだ。椅子に座ったら眠くなって夢を見て目が覚めたらこれを手に持っていたんだけれど、これを売っていたブースもそこにいた人も誰もいなくなっていたんだ」
リュウが私に見せたのは、「カタカムナ48音思念(言霊)表」と書かれているはがき大サイズのカードに円や半円直線等を組み合わせた記号のようなものとカタカナの一音一音がセットになって書かれているものだった。

カタカムナ

「カタカムナ 48音思念(言霊)表」をリュウは、歴史祭り縄文コーナーカタカムナブースという小さなテントで見つけたと言った。
縄文という言葉に惹かれてそのコーナーに行くと、最初に目に入ったのがカタカムナブースの「カタカムナ48音の思念(言霊)表」で、何故かそれに目がとまりそこに描かれている不思議な記号をじっと見ていると、そのブースにいた女の人が傍に来て、その記号のようなものがカタカムナという古代文字であること、そのカードに順番に書かれている「ヒフミヨイマワリテメクルムナヤコトアウノスヘシレカタチサキソラニモロケセユヱヌオヲハエツヰネホン」というのは現在使われている日本語の四十八音であること、それぞれの音とセットになっている記号はその音を表すカタカムナ文字でありその下に書かれているのが一文字一文字の思念であり言霊というものであること、を話してくれた。
リュウがその思念表を買おうかどうか迷っていると、
「ちょっと難しいかもしれないけれど、よかったら座ってこの本を読んでみて」
と言って「カタカムナ言霊の超法則」という本をリュウに手渡し、折り畳み式の椅子を出して女の人はそのままどこかへ行ってしまった。
小学生にとってはその本は難しすぎたせいか、あるいは旅行疲れのせいか、リュウはうつらうつらしながら夢を見ていた。

リュウが池の傍に立って鴨が泳いでいるのを見ていると、リュウの方に向かって三人の女の人が歩いてくる。三人は美しく透き通るような白い着物のようなドレスを着て、髪はロングで、それぞれ赤・白・ピンクの花を何本か髪に挿して、胸にはこれもまた透き通るような緑色の石で作った勾玉のペンダントをかけている。楽しそうに三人で話しながらリュウのところにやってきて、三人の真ん中にいた一番年上らしき女の人が、まるで鈴の音のような美しい声で、
「あなたにこれを差し上げます」
と言ってにっこり笑った。
そこで目が覚めたリュウはテントの中の休憩所のような所で、椅子に座って、手には夢の中でもらった「カタカムナ48音の思念(言霊)表」を持っていた。
まだお金を払っていないことに気づいたリュウは、あわててカタカムナブースを探したけれど、何度探してもカタカムナブースは見つからず、同じイベントに参加していた人達に聞いても、カタカムナという名前も知らないし、「カタカムナ48音思念(言霊)表」やカタカムナという名前のついたタイトルの本を売っているブースなどないと言う。何がなんだかわけがわからなくなりまだ夢が続いているのかと思いながら、私達のいるところに戻ってきたというのが、リュウが語った内容だった。

サダオさんとカタカムナ

リュウが持っていた「カタカムナ48音の思念(言霊)表」に、著作者:吉野信子と書かれていたので、インターネットで吉野信子を検索すると、「カタカムナ言霊伝道師吉野信子オフィシャルサイトというサイトが見つかり、カタカムナ四十八音の思念(言霊)表のことも、リュウの話に出てきた「カタカムナ言霊の超法則」という本についても書かれていたので、それらが実際に存在するということがわかった。しかし、リュウにカタカムナ思念(言霊)表をくれた三人の女の人やイベント会場のカタカムナブースに関しては謎のままだった。
ところがなんとサダオさんがカタカムナのことを知っていたのだ。
サダオさんの父親、つまり私の祖父がカタカムナという古代語を勉強していて、カタカムナについての研究誌である「相似象」という雑誌を何冊か持っていた。毎月自宅に多い時は十人くらい集まって勉強会を開いていたので、会合がある時部屋の前を通ると、誰かが「カタカムナ」とか「楢崎皐月先生」とか言っている声が聞こえてきたそうだ。
その祖父は、私が生まれる前に亡くなっており、「カタカムナ」も「相似象」も祖母とサダオさんには全く興味がないものであったため、祖父の残した「相似象」の雑誌や研究ノートは全てカタカムナ勉強会のメンバーに引き取ってもらったということだった。
すっかり忘れていた過去のことであったが、孫のリュウが持ち帰った「カタカムナ48音の思念(言霊)表」でカタカムナという言葉を目にしたことで、忘れたはずの過去の記憶が蘇り父親のことを思い出したとサダオさんは言い、
「リュウは親父に似ている」と付け加えた。
カタカムナに関するリュウの体験も不思議なことであったが、そのカタカムナをリュウのひいおじいさんが勉強していたというのも不思議なめぐり合わせであった。

サダオさんの病気

奈良旅行以来サダオさんの体調がよくない。御年七十二歳だけれど、まだ弱りこむという年齢でもない。
最近特に咳込むことが多くなった。しかもその咳はなんとなく嫌な感じの咳だ。以前より疲れやすくなったし、体もとても怠そうに見える。
私はサダオさんにできるだけ早く病院で検査してもらうように勧めた。
サダオさんは自分でも気になるらしく素直に、「そうするよ」と言った。
それからしばらくして、
「病院での検査の結果について医者から話があるので、一緒に聞いてくれないかな」とサダオさんから頼まれた。
その瞬間嫌な予感が当たったような胸騒ぎがした。
サダオさんの主治医は、四十代半ばの小太りの落ち着いた雰囲気の男性だった。
病名は非小細胞肺癌ステージ2で手術が可能で部分切除が可能であること。手術中に周囲のリンパ節を郭清して、リンパ節に転移していないかどうかを確認すること。肺のCT 検査の写真で癌の個所を示しながら説明があった。それから手術日を決めてそれまでに必要な検査をいくつか受けて、手術日の前日に入院することなどが決められて、入院当日までに必要事項を記入して持参するいくつかの書類を渡された。
駅までの道を歩きながら私はすっかり落ち込んでいた。ショックで呆然としている私を見かねてなのか?
「病院というところはいつ行ってもエネルギーを奪われる。腹も減ったし、今日の夕飯はみんなで鰻丼の上を食べに行こう。食べられるうちに美味しいものを食べておくにこしたことはない」
どこか覚悟を決めたような明るい声だった。
私はちょっと泣きそうだったけれど、
「そうだ、そうだ。美味しいものを食べよう、上鰻丼を食べよう」と元気よく言った。
サダオさんが手術を受けて家に帰ってくるまでの日々はあっという間に過ぎた。
ラッキーなことにリンパ節転移はなかった。しかし再発予防のため四週間ごとに五クールの薬物治療(抗がん剤治療)を行うことになった。

抗がん剤治療が進むにつれてサダオさんがどんどん弱っていく。抗がん剤治療をして三週間くらいは、物を食べてしばらくすると吐く。吐き気を抑える薬も抗がん剤と一緒に摂っているのだが、あまり効果が見られない。食欲もないし、好きな鰻を食べても味がわからない。一切れも食べないうちに「もういらない」と言う。水やお茶などの水分は受けつけるので、自分で栄養ドリンクを買ってきて飲んでいる。そのままだと弱って癌以外の病気にかかってしまいそうだったので、医者に頼んで栄養補給の点滴を打ってもらったこともある。以前と変わらず普通にすごせるのは、一ケ月のうち最後の一週間だけだった。その一週間のうちに美味しいものをいっぱい食べて三人で映画を見に行ったり旅行に行ったりした。
そんな風に三ケ月を過ごして四クール目が始まる前の日の夕飯の時、サダオさんは静かに私とリュウに告げた。
「もう抗がん剤治療は受けない」
抗がん剤治療が何であるのかも知らないリュウは、お吸い物の椀を持ったままサダオさんをじっと見ていた。
その言い方と声からサダオさんの決意と覚悟を感じた私は、
「サダオさんがそれでいいなら、私もそれでいいよ」
その時はお父さんと言わずにサダオさんと少し距離をおいた言い方をした。
サダオさんが翌日病院へ行って主治医に抗がん剤治療をやめると告げると、
「本当は五回するのが理想的なのですが、三回はされていますし再発予防のための抗がん剤なので、検査さえ定期的に受けてくださるなら、無理にとは言いません」
主治医はすんなり受け入れてくれたらしい。
それをきっかけにサダオさんは、検査のためにも一切病院へは行かなくなった。
「病院へ行くと気持ちが落ち込み体調も悪くなるから」というのがその理由だった。
私がリュウを身籠って、一人で産んで一人で育てるとサダオさんに告げた時、サダオさんは一切非難がましいことは口にせず、
「江戸時代の良寛さんという禅宗の坊さんが、『災難に逢う時節には災難に逢うがよく候、死ぬ時節には死ぬがよく候、是はこれ災難をのがるる妙法にて候』という言葉を残している。どんなに辛い災難でも、目の前の現実を変えることはできないしそこから逃げることはできない。その辛さから逃れる最善の方法はその現実をそのまま受け入れてしまうことであるという意味だ」と言っただけだった。
その時の災難とは、ジャーナリストであった私の恋人が、アフガニスタンに取材に行ったまま連絡を絶ち音信不通になってしまったことを暗に言っていると思われた。その恋人はサダオさんの大学教授時代の教え子であり、リュウの生物学的父親でもある。
恋人が音信不通で生死も不明であるということは、災難ではあったがどこかで生きているという数パーセントの希望も残っていたし、私にとって子供を身籠ったことは災難などではなく何よりも生きる支えになった。
リュウがお腹にいる時は黙って支えてくれ、リュウが生まれてからは保育所の送り迎えや病気の時の世話など、いくら感謝してもし足りないくらいに私を支えてくれたサダオさんの思いに寄り添うためにも、私もサダオさんにならって一切非難がましいことは口にせずサダオさんを支えようと決意した。

リュウとサダオさん

夢の中で三人の女の人から「カタカムナ48の思念(言霊)表」を貰ってからのリュウは、吉野信子オフィシャルサイトを見て言葉の読み解き方を勉強したり、メルマガ登録をして毎月送られてくる48音の思念についての解説を読んだりして、時々単語を読み解いたりしている。何かにのめり込む時のリュウの集中力には、誰もたちうちできないところがある。自分で納得できない時やわからない時は、サダオさんに見せて二人で読み解いているようだ。
サダオさんは日本語学を研究していたので、リュウの相談相手としては理想的な相手だった。
私は外大の英米語学科で英文学を専攻していた流れで、英語で書かれた書物の翻訳の仕事をしていて、締め切り間近になると食事もとらず部屋にこもりきりになるような母親なので、リュウは当然私のことを当てにはしていない。
祖父であるサダオさんは、リュウにとって父親でもあり母親でもあるのかもしれない。
保育所の送り迎えのみならず、私が忙しい時には、小学校の参観日やその他の行事にサダオさんが参加することも何度かあった。食事も最近はリュウも手伝うようになったが、六割以上サダオさんが作っている。
ある日仕事が一段落したのでコーヒーを飲むためにリビングに行くと、リュウとサダオさんが真剣な表情で話をしていた。
「肺癌の思念は、『引き合い伝わるモノは強い内なる力』で、数霊は70で『調和そのもの』だよ。内なる力って心の奥の力なのかな?」
「リュウ、肺と癌に分けて数を数えたらどうなる?」
「えーっと、ハが42でイが5だから肺は47で引き離す。ガがマイナス25でンが48なので癌は48―25=23で示し・現象・死だよ。死とか嫌な感じだな。あっ、ちょっと待って」
リュウは黄色のノートをめくって手を止めじっと見て言った。
「あのね、数霊の23は愛という言葉があるよ。アは18でイが5だから18+5=23、肺と癌に分けると、肺癌は引き離す愛という思念になる。愛が引き離されているのが肺癌だから、愛を取り戻したら肺癌にはならないということかな?」
「愛か…」
父親と息子の大と小の男が二人、愛について語っている光景は、家族であるだけにどこかくすぐったいようないたたまれないような、心の奥をくすぐられる光景であったが、リュウが手に入れた「カタカムナ48音の思念(言霊)表」を通じて二人が愛の交流をしているようだと私は思った。

シンクロ

その日私は、阪急梅田の神戸線の改札を出たあたりで十一時半に母と待ち合わせた。
母は、私が高校二年生の時に父親とは別の男性と一緒になるために家を出た。
その後その男性は早くに亡くなったので、母は、今は一人身である。
その男性が亡くなった時母は、「罰が当たったのよ」と私に言った。
私は、私の父親とは別の男性と一緒になるために、母が私を捨てたとは考えなかった。
私が小学生であったなら、そのように考えたかもしれない。しかし、私はその時十六歳になっていた。私は、母は本当はもっと早く家を出たかったのだけれど、私が母親が傍にいることを必要としている年齢である間は、私の傍にいて面倒を見たり相談に乗ったりして、私が母親が傍にいなくても一人でやっていけると見極めて、家を出たのだとわかった。
私のために、その身を少なからず犠牲にしてくれたことがわかったので、ある種の感謝の気持ちをもって、母が私に会いたい時と私が母に会いたい時、二人が会えるよう連絡を取り合うことを私のほうから申し出て、サダオさんの了解も得た。
距離ができたことで、私達は以前より深くコミュニケーションをとることができるようになった。恋人ができたこと・その恋人が行方不明になったこと・行方不明の恋人の子供を身籠りその子を産むつもりであること等、母に真っ先に告げて相談した。
リュウが生まれる時に傍にいてもらうことこそできなかったけれど、生まれてからは時々リュウを連れて母に会いに行き、育児の相談に乗ってもらったりしていた。
リュウにも少しずつ事情を説明していたので、リュウは大阪のおばあちゃんと呼ぶようになった。
その日は、母のほうから話があるので会いたいと言ってきたので、それならランチでも一緒にしようということになったというわけだ。
「久しぶりに人間ドックに行ったら、乳癌が見つかって3週間後手術することになったので、申し訳ないけれど、連帯保証人をきみちゃんにお願いしたいの。」
と食後のコーヒーを飲みながら母親は言った。
「左胸のここに、2センチのがんのしこりがあるのよね。ステージ2だからとりあえず手術して、その後どうするか決めると言われた。」
私の手を取って左胸の端を触らせた。
「もちろん私の名前でも何でも使ってくれていいし、手術の時間と病院を教えてくれたら、その時間に行くよ」と言うと、
「罰が当たったんだから、私はできるだけ誰の世話にもならず一人でこの罰を受けなくてはいけないんだよ」と言うので、
「お母さんは何かというと、罰が当たったと言って自分を責めるけれど、子供からすると親にそんなふうに言ってほしくない。最悪本当に何かあって、お母さんが死んだりしたら、私は、一人で手術をうけさせたという負い目を背負って自分を責めることになる。私のことを大切に思ってくれるなら、大事なことを罰が当たったという一言で片づけないでほしい」と強く訴えると母は申し訳なさそうな表情をした。
それにしても父と母は別れてから二十五年も経っているのに、同じ時期に癌になるなんて嬉しくもないシンクロだと思ったので、
「実はお父さんも肺癌の手術を四ヶ月前にして、抗がん剤治療をしていたんだけれど、副作用があまりにも酷いので、三回でやめたら元気になった」
言うつもりがなかったことを、その場の流れで言ってしまった。
母は驚いたような顔で、「私とサダオさんて相性がいいんだか悪いんだか、昔から変なところが似ている。」とひとり言のように呟いた。

家に帰ってリュウの顔を見ると、リュウがサダオさんの肺癌をカタカムナで読み解いていたことを思い出した。
「ねえリュウ、前におじいちゃんの病気をカタカムナで読み解いたことがあったでしょう。私の友達が乳癌になったらしいので、乳癌を読み解いてくれないかな?ほら言葉の数を数えるやり方があったでしょう数霊って言ったかな?あのやり方でお願いできるかな?」
「いいけど、お友達って誰?まさかお母さんじゃないよね?」
危ない、危ない。リュウの勘のよさにドキッとしながら、時々子供向けの英語の本の翻訳を頼まれる唐沢出版に勤めていて、最近乳癌の手術をしたと言っていた担当の浜さんのことを思い浮かべながら、
「乳癌のお友達はね、唐沢出版に勤めている子供向けの英語の本の翻訳担当の浜さんという人だよ」と嘘にはならない説明をした。
リュウは、乳癌の数霊は111で感謝と同じ数霊だから、浜さんは色々なことに感謝すれば幸せになれるかもしれないなどと、およそ子供らしくない説明をしてくれた。
せっかくなので、浜さんに会った時、カタカムナについての簡単な説明とリュウが読み解いた乳癌についての話をしたら、浜さんはカタカムナに興味をもったらしくネットで色々調べて、
「カタカムナも面白そうだし、オンラインカタカムナ学校の校長の吉野信子さんがカタカムナに興味を抱き、ついに言霊48音のエネルギーの流れを発見するに至った経緯も興味深いし、吉野信子さんのとても純粋な人柄にも心惹かれるので、忙しくはなるけれど4月から始まるカタカムナ学校に入学することにしました」とその後連絡をくれた。

カタカムナの聖地

新型コロナウイルス(COVIⅮ―19)の世界的な大流行に伴い、世界中の人々は外出もままならない状態になっていった。日本も例外ではなく、2020年4月に緊急事態宣言が全国に拡大され、学校は休校になり多くの店舗が休業せざるを得なくなり、会社もリモートでの仕事が多くなっていった。
ほとんどの人が今まで通りの生活が続けられなくなったが、我が家は、サダオさんは年金生活で私はフリーの翻訳家なので、以前からリモートワークだったので、外出こそあまりできなくなったが、ほとんど生活に変化はなかった。
リュウは学校へ行けなくなったけれど、もともとオタク傾向があり学校はそれほど好きでもなかったので、羽が伸ばせるとでも思ったのか嬉しそうにしていた。
ある日浜さんから、今取り組んでいる翻訳本について変更があるので、zoomで打ち合わせしたいと連絡があり、打ち合わせ後
「カタカムナ学校も新型コロナの影響で5月からのzoom講義と録画を見て勉強するということになりました。定員も五十名を超えても受け入れてくれるみたいで、家族のうち一人が入学していれば、もう一人、録画動画視聴可ということなので、お父さんのサダオさんが入学されてリュウくんも一緒に勉強したらいい気がします。ホームページに詳しいことが書かれているのでお二人に伝えてあげてください」と言われた。
散歩から帰ってきたサダオさんにそのまま伝えると、
「そうか、俺も若干暇を持て余しているし、親父が研究していたカタカムナがどんなものなのか、できるうちに勉強しておくのは親孝行になる気がする。我が家で親父の次にカタカムナと出会ったリュウと一緒に勉強すれば、きっと親父も喜ぶだろう」いつもに比べてややセンチメンタルなエネルギーが伝わってきた。
6月になってやっとリュウが通う小学校の授業が再開されたけれど、しばらくはクラスの児童を半分に分けて午前と午後に分散登校しながら、徐々に普通の学校生活ができるようにしていくという学校の方針がzoomを使って保護者に説明された。
リュウが通っている学校は、本人が望めば、よほど成績が悪くない限り幼稚園から大学までエスカレーター方式で進学できる学校であったので、私とサダオさんは、リュウに小学校でこの学校を受験させて、大学までエスカレーターに乗ってもらうつもりだった。
5月になってサダオさんと浜さんはカタカムナ学校に入学した。

カタカムナ学校に入学して彼らが最初にしたことは、私とリュウを誘って保久良神社と金鳥山に登ることだった。
保久良神社と金鳥山はカタカムナの聖地と言われており、保久良神社はリュウが通う小学校からそう遠くない場所にある。
顔の広い浜さんが久保さんという案内人を探してくれたので、当日は全員弁当と飲み物持参で十時半に阪急岡本駅に集合して、まずは北に向かい保久良神社を目指す。
三十分くらいで保久良神社に到着すると、台座に椎根津彦(しいねつひこ)命(のみこと)と書かれたみずら頭の亀に乗って右手をあげて「やぁ、ようこそ」と言っているような銅像が迎えてくれたり、鳥居前から南を見ると、大阪湾の眺望が素晴らしくて坂道を登ってきた疲れが一瞬で癒される。
鳥居前には石灯籠があり、古くから大阪湾を通る船の目印として火が灯され、灘の一つ火と呼ばれてきて、今も毎夜電灯が灯されている。神社の名前の保久良(ほくら)も、火種を保持する倉=火倉(ほくら)に由来するという説がある等、久保さんから説明をうける。
お辞儀をして鳥居をくぐって本殿に向かうと、右側に鳥居から亥戌酉申未午巳辰卯寅丑子と干支とは逆の順番に十二支が並んでいる。何故十二支が神社の入り口から逆に並んでいるのかはその時はわからなかったけれど、その後サダオさん達三人のカタカムナの学習が進んでいくことで明らかになる。
保久良神社の境内には、立岩(たていわ)と書かれた立て札がある磐座があり、案内の方から神様に祈るために人々が立て起こした祈願岩だと教えられたので、みんなで二礼二拍手一礼のお祈りをする。本殿の裏側にまわると名前こそ書かれていないが、明らかに磐座とわかる大きな岩がいくつか存在しており、比較的平らなところはどう見ても昔何らかの建物があったような跡があり、人のエネルギーを感じた。
そのことを久保さんに伝えると、「このあたりで土器や石器が多数出土していますし、境内外に渦巻状に配置された磐座を多数見ることができるので、このあたりは古代の祭祀場あったと言われています。保久良神社はカタカムナ神社なのではないかとも言われています」という説明があり、その後2016年10月10日吉野信子さんがお産の儀式を行い日本武尊と磐長姫が生まれたという三交岩に手を合わせた。
社務所の裏にあたる場所には神生岩(かみなりいわ)と書かれている大きな磐座があり、その磐座に左手で触れているリュウを撮影すると赤い光がリュウの頭に入っていく写真が撮れた。
その時リュウは、
「あっ」と声をあげ、
「そこの金網の外の山道を変な服をきた頭ぼさぼさの男の人がすごいスピードで走っていった」と言った。
リュウが指さすほうを見たけれど、私には何も見えなかった。
久保さんが、「面白いものをお見せします」と言って連れていってくれたのは、保久良梅林と呼ばれるそれほど大きくない梅林のすぐ傍にあるけれど、明らかに梅ではなく十字の形をした木だった。
それを見てサダオさんは、「カタカムナの中心図象の八咫鏡図象とフトマニ図象の中心は十字で、カタカムナは丸十=㊉と呼ばれているので、保久良神社はカタカムナと繋がっていることは間違いない。木(キ)はカタカムナの思念では「エネルギー」だから十字の木は、カタカムナの内なる示しのエネルギーと読み解けるんじゃないかな」と言った。
「おじいちゃんすごーい。カタカムナって面白い」
「サダオさんの読み解きすごく参考になります。それと楢崎皐月は金鳥山で平十字(ひらとうじ)からカタカムナ文献を見せてもらったのだから、この十字の木は平十字とも関係があるかもしれない。リュウくんがさっき見たのは平十字(ひらとうじ)だとこの木が教えてくれているのかもしれないね」と浜さんはかなりオカルトっぽい解釈をした。
サダオさんの説明によると、「カタは見える現象を示し、カムは見えない潜象を示していて、カタとカムを結び繋いでいるのはナである。ナの思念は核なので、カタとカムの中心にナという核が存在してカタとカムが離れることなく結びついて存在しているのが、カタカムナが意味することである。この世の全てはこのように潜象と現象がセットになって存在しており、その本質である根源はカムつまり見えない潜象であり、見える現象は陰(かげ)なのである」ということである。
そのような説明を聞くと、見えるものにばかり価値をおいて生きてきた私はかなり混乱するが、何故かちょっぴり救われる気もした。
私達は、足幅が合わない山道をどんどん登っていき疲れた上お腹がすいたので、神戸の街が見渡せる見晴らしのいい少し開けた場所でお弁当を食べることにして休憩をとった。
休憩後しばらく上り道を歩くと、左手に立っている木に「金鳥山」と書いて矢印で進む方向を示している小さな札が貼り付けてあった。
「これは知らないとうっかり見逃してしまいそうだわ」と思いながら道とも言えない道を歩くと、小さな広場の真ん中あたりにそれほど大きくはないが、存在感のある岩がいくつかかたまっている場所に行き当たる。その石達はどう見ても何らかの意図をもってそこに配置されたとしか思えなかった。
「実はこの場所は最近までずっと草茫々で、誰にもわからなかったのですが、2019年草に埋もれていた岩を、カタカムナを学ばれてあちこちの磐座へ行き、磐座考察を写真と共にブログに書かれている武部正俊さんという方が中心になって発見され、カタカムナに興味をもっている者や磐座大好き人間達が集まり、草を刈り岩を掘り起してなんとか整えて、この場所が楢崎皐月が平十字からカタカムナ神社の御神体であるという巻物を見せられた金鳥山だとしてご案内することができるようになったのです。ここだと特定できたのは、楢崎皐月が阪急岡本駅と芦屋川駅を含めた金鳥山の地図を書き残していたからなのです。楢崎氏は、金鳥山には平安時代の陰陽師である安倍晴明のライバルと言われている芦屋道満の墓であると伝えられている狐塚があると書き残しているので、この岩達が狐塚ではないかと言われています」とかたまって意味ありげに配置されている石達を指さした。
「カタカムナウタヒ第一首には、カタカムナヒビキマノスベシアシアトウアンウツシマツルカタカムナと書いてあるんだけれど、ここに出てくるアシアトウアンと狐塚の芦屋道満とは関係があるのかしら?」と浜さん。
私達は狐塚に持ってきたお菓子や飲み物等のお供え物をして、浜さんがスマホに録音してきた「カタカムナ平和の詩(うた)」の曲を流して私以外の三人が謡い、私達は金鳥山を後にした。

母の病を父に話す

日曜日、リュウはサダオさんに新しいスニーカーを買ってもらった後、話題の映画「鬼滅の刃無限列車編」を見て夕飯を食べてから帰ると言って、二人で楽しそうに出かけて行った。
普段それほど手がかかるというわけではないが、男二人というのはかさ高いもので、二人同時にいなくなると空間が広々した感じがして、思わず手を広げて伸び伸びしたくなる。
ゆっくり朝寝坊した後ジャズをききながらのんびり湯船につかり、厚めのトーストにバターと桃ジャム・目玉焼き・ヨーグルトと少し薄めのコーヒーでブランチをいただきながら、新聞に目を通していると、母への電話がどうしても繋がらない時、こちらに連絡してと言われていた母の家の近くに住んでいる母の友人の携帯から電話がかかってきた。
「もしもし貴三子さん」
「はい」
「頼子さんの友達の菊川絵里ですが、頼子さんが昨日から突然左足が痛いと言いだし、昨日は歩くのもそれほど辛そうではなかったのだけれど、今日は杖をついても歩くのがとても辛そうなので、本人からは黙っていてと口止めされたのだけれど、何かあってもいけないので、独断で電話しました。差し支えなければ今日か明日に一度家に行ってあげてくれると、本人も血を分けた娘の顔を見るだけで心強いと思うので、よろしくお願いします」
「菊川さんご連絡ありがとうございます。母がいつもお世話になっています。母は私に負い目があるとかってに思い込んでいて、私に遠慮しているものですから、私に心配かけたくないと思っているのです。菊川さんのご判断に感謝します。すぐにでも母の所へ行こうと思います」
私は身支度をすませると、
「急用ができたので、出かけます。帰りは遅くなると思うけれど、必ず連絡します」
とサダオさんの携帯にメッセージを送って母のマンションに向かった。

母は椅子に座ってじっとしていたが、歩くと激痛に襲われるらしく、
「今日は日曜で病院もクリニックも診療は休みなので、明日まで我慢して明日タクシーを呼んで病院へ行くから大丈夫だよ」と口では言っているが、時々顔をしかめたりしているので全然大丈夫でなさそうだった。
トイレに行く時辛そうなので、体を支えながら少しずつ進むと少しは楽そうだった。
夕飯を作って一緒に食べ終わると八時を過ぎていた。
「リュウとサダオさんが心配するので、あなたはもう家に帰りなさい」と母は言ったけれど、抗がん剤治療で髪の毛もだいぶ抜けているし、どう考えても全く大丈夫ではなかったので、私は明日病院へ付き添って行こうと決めて母に告げ、サダオさんに電話で簡潔に状況説明をして、明日母に付き添って病院へ行くこと、帰ったら詳しく説明することを伝えた。
翌日万一の場合を考えて整形外科や脳神経外科のある病院へ行くと、最初に受けたレントゲン検査では骨に異常はなかったので、MRI検査を受けて当日に検査結果の説明を受けて、ブロック注射や痛み止めその他の薬を処方してもらえたのはラッキーだった。
なんでも腰のヘルニアが左足の神経に触っているので、ブロック注射をして痛みをブロックして、痛み止めの薬を使って痛みを抑えていくと説明され、次回の予約を済ませてマンションに戻った。
「ブロック注射の効果か痛みがずいぶん和らいだし、痛み止めもあるので一人でも大丈夫」と母が言うので、夕飯を作って食後薬を飲むことと何かあったら必ず連絡するように伝えて帰宅した。

サダオさんとリュウに昨日から今日にかけての顛末を話したことで、自分の中のエネルギーがすんなり流れ出したのか、母について話すのは今この機会しかないと思い、母が乳癌の治療をしていて吐き気はないけれど、副作用のせいで、髪の毛がけっこう抜けていること等を立て板に水が流れるように吐き出して、すっきりした。
私はすっきりしたけれど、ヘルニアと乳癌を抱えた祖母と元女房の話を聞かされた我が家の男達は、驚きのあまり何を言っていいかわからない様子だった。
サダオさんはそれでも年の功で何か言わなければならないと思ったのか、
「それは大変というか何というか、頼子さんはそんな病気を二つも抱えて一人で大丈夫なのか?」と自分も癌を抱えているのに心配オーラを出していた。
考えてみれば、サダオさんは母のことが嫌いで別れたわけではないし、分かれて二十五年も経っているので、再婚相手も亡くなった今となってみれば、懐かしさもあり惻隠の情のような感情が湧いてきても不思議ではない。
母とは私が綿密に連絡を取り、必要な時はリュウか私ができることをやるということにした。
サダオさんは口には出さないけれど、内心ほっとしているように見受けられた。

カタカムナ48音の思念表

「もしもし浜です。先日行った保久良神社の干支の意味がわかったのと次回の翻訳についての打ち合わせもあるので、三日以内にそちらにお伺いしたいのですが、ご都合はいかがですか?」
「そうねえ、明日の午後一時半頃来てもらえるとありがたいかな。その後の時間は空けておくわね」
次の日浜さんはぴったり午後一時半にやって来て次回の打ち合わせをさっさと済ませると、はこれからが本題ですと言わんばかりに、
「保久良神社の干支の意味について説明する前に、カタカムナと『カタカムナ48音思念表』について説明したほうが干支の意味もわかりやすいと思います」と言ってカタカムナ48音思念(言霊)表と書かれているカードを渡してくれた。
「最初に、『カタ』とは目に見える現象の形のことです。つまり目に見える物質であり人間で言えば肉体です。『カム』とは目に見えない潜象エネルギーのことです。つまり目に見えない生命エネルギーのことです。『ナ』とは形である『カタ』と目に見えない生命エネルギー『カム』を繋いで統合している中心の核のことです。人間を始めとする生命は『カタ』である見える肉体と『カム』である見えない生命エネルギーでできていて、『カム』の生命エネルギーが『カタ』の肉体に入ることで『カタ』は動くことができ、『カタ』と『カム』は『ナ』を中心として常に循環しているのです」
 浜さんは、人間の身体を生命エネルギーが入っていない『カタ』を白で、生命エネルギーが入っている『カム』を青で色分けし、『カタ』と『カム』を繋ぐ中心に『ナ』を『カタ』と『カム』が交差するように描いた絵を見せながら『カタ』と『カム』が循環していく様子を説明してくれた。
 「カタ」と「カム」については一度サダオさんに説明してもらったけれど、それほどよくわかっているわけではないので、浜さんに説明してもらったことで少しだけイメージ化できるような気がした。



「次にお渡しした思念表ですが、一番上に書いてある数字を数霊と言い、左から順に12345…48までが日本語四十八音の数霊です。赤で書かれた①から⑩までの数字は、思念表の下に書かれているようにカタカムナの『10次元世界』を示しています。数字の下に書かれているヒ~ンまでが日本語四十八音です。その下の半円や円のような図をカタカムナ文字と言います。そして一番下にそれぞれの数や音の思念が書かれています。ここまでで聞きたいことがありましたら、聞いて下さい。」
「思念とはその音や数の意味ということなの?」
「意味というよりその音や数のエネルギーの流れととらえたほうがいいと思います。なぜなら、カタカムナ文字は、表に出て見えている現象が、見えない潜象ではどのようにエネルギーが動いているかを表現している文字だからです。例えば人(ヒト)を読み解いてみると、思念読みではヒは『根源から出る・入る』でトは『統合』なので、『根源から出る』で読み解くと『根源から出るために統合する』と読み解けます。『根源に入る』で読み解くと『根源に入って統合する』と読み解け、『根源から出る』は人の誕生のエネルギーの流れで、『根源に入る』は人の死のエネルギーの流れであると思われます。『統合』は精子と卵子が統合するエネルギーの流れです。『根源から出る・入る』の両方で読み解くことで、精子と卵子の統合→根源から出る→人の誕生→根源に入る→人の死→精子と卵子の統合→根源から出る→人の誕生というエネルギーの流れが繰り返され、人は死んでも潜象界で統合してまた現象界に生まれ出てくるとわかるのです。つまり人の生命は永遠循環するエネルギーの流れであるということなのです。」
「人のエネルギーを読み解くことで、そこまでわかるなんて浜さんの言霊力と感性はすごいよ」
「だてに出版社の編集に携わっているわけではありませんので、言葉は私の命みたいなものですから。それから人の数霊は18で『感じる・生命』ということですが、人は感じる生命なのでドンピシャですね」
「浜さん、リクエストいいかな?」
「もちろんいいですよ。ただしわかる範囲でしか答えられませんけど」
「loveの愛を読み解いてほしい」
「わかりました。まずアの思念は先ほど出てきた数霊18の『感じる・生命』でイは数霊5の『伝わるもの・陰』なので、思念で読み解くと『感じて伝えるもの』と読み解きます。数霊は18+5=23となって数霊23は『示し・現象・死』です。23の思念でふさわしいのは、『示し』もしくは、『現象』ではないかと思います。目に見えない愛を感じる時、それは神の示しのように感じるだろうし、目に見える愛はプレゼントや言葉そして行動等の現象になりますからね。そして同じ音は同じ本質を持つので、英語のeye(目)やI(私)も愛と同じ本質をもつことになるのです」
ちょうどそこへ買い物に行っていたサダオさんが、頼んでいたケーキを買ってきてくれたので、ブレイクタイムにする。
「美味しい肉が手に入ったので、浜さんよかったら夕飯のすき焼き一緒に食べませんか?」とサダオさん。
「えっいいんですか?嬉しい。どうせ家に帰っても一人ご飯なので、よろこんでご馳走になります」
浜さんは本当に嬉しそうだった。

保久良神社の干支の意味 

リュウも学校から帰ってきて役者が出揃ったところで
「さて保久良神社の入り口から本殿に向かって亥戌酉申未午巳辰卯寅丑子と十二支の動物達が並んでいますが、これは十二支の順番とは逆になっています。どうしてだと思います?」
「保久良神社の内から外へ子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥と鳥居を出ていくってこと?」私が答えると、
浜さんは、
「いい線いっていますね。まず十二支をカタカムナで読み解くとどのように読み解けるのかこれから詳しく説明しますけれど、リュウくんには難しいと思うし、恥ずかしいと思うこともあるかもしれないけれど、わかってもわからなくても恥ずかしくても聞くだけ聞いてほしい。そして質問があれば話の途中でも貴三子先生とリュウくんは遠慮せず質問してください。サダオさんはご存じだと思いますので、私の説明が間違っていたら訂正してくださいね。それでは始めますね」と言って飲みかけの傍にあった水をゴクリと飲んだ。
「まず最初に子(ね)ですが、子供の子と書きますよね。これは子種(こだね)を表す。子のネズミは小さい精子のことです。ネの数霊は46で思念は充電する。充電するとは、子種を入れる=精子をチャージすることです。精子をチャージするのは男性器なので男性器=充電するものです。次の丑(うし)の字の形は神社の鳥居に似ていますね」と言って丑の字と鳥居の写真を見せた。
「リュウは子年だよね」と私が言うと、リュウが頷いた。
「ウシの数霊は19+23=42でその思念は『引き合う』です。子の男性器と引き合うのは女性器ですよね。先ほども言いましたけど、丑の字は鳥居の形に似ています。鳥居というのは女性器に入る入り口のことなんです。女性器の入り口である会陰を丑と言っているのです。鳥居は参道の前にあるように女性器も産道の前にあります。ただ丑と言う字が鳥居の形と違うところは、入り口である一番下が閉じているのでそこから入れない。つまり丑の字はまだ男性器と統合していない女性器を表しているのです。貴三子先生ここまでいいですか?質問がありましたら聞いてくださいね」
「今のところ字とか写真とか見せてくれるので、よくわかる」
「サダオさん何か付け加えることはありますか?」
「浜さん、完璧な説明だから付け加えることは何もないよ」
「では次は寅です。トラの思念は『統合の場』ということです。男性と女性が交わって統合するので、『命を統合する場』ということですね。トラの数霊はト17+ラ31=48で、48の音のンは『押し出す力』です。精子を押し出す力つまり『射精』ということです。それからえーっと、統合の色について吉野信子先生が何か言われていたけれどわすれちゃったので、サダオさん覚えていたら説明お願いします」
サダオさんは右手と左手の指を交差させて、
「こういうふうに男性と女性が黄色と黒を交差させて統合するとトラの黄色と黒の色が入り交わった縞々模様になる」と言うので、
「男性と女性のどっちが黒でどっちが黄色なの?」と質問すると、
「そこまではわからない」と答えた。
「次は卯(う)です。寅の射精した精子を受け取る卵子が卯なんですが、卯の状態はまだ受精していない状態で、寅の字の一番下のハが卯に入ると卵と言う字になり、卯が受精卵になるのです。何故ハと二つあるのかと言うと、見えるものである肉体のカタと見えない精神であるカムの二つに魂が結びつきカタカムナとなるからです。ウは数霊は19で思念は『生まれ出る』です。
次は辰(たつ)ですが、この字は振動の振と言う字に似ていますよね。つまり振動が必要だということです。精子が卵子と出会って殻を破って核として中に入るためには振動が必要だということです。数霊はタ26+ツ44=70『調和そのもの』、思念と合わせて読み解くと『分かれたものが集まり調和そのものとなる』。つまり分かれている精子と卵子が集まり接触して調和そのものとなるということです。
次の巳(み)は数霊は3、同じ音は同じエネルギーを持っているので、『Sun・sonで核に天照の光を持った言霊を話す子であり、me=私が生まれるということ』でもあります。me=私のことをミ→己と言いますが、己と言う字は転がり入る転がり出る(隼人の盾の形)コを二つ合わせた形でありトーラスの形つまり逆渦を二つ統合させた形になっています。転がり出る(出産)する前は己の蓋が巳というように閉まっていて転がり入って命がチャージされるのですが、出産して転がり出たとたんに開いて己(me)になり寿命がなくなる死ぬ方向へ向かう。巳は命が胎内にいて寿命が閉まっている状態なんです。そのように私(me)は生まれて死の方向へ循環していくのです。
次は午(うま)です。私と貴三子先生は午年ですよね。午は牛の字に似ています。丑は会陰のことでしたよね。午は会陰の奥の子宮を表します。『生み出す間』=子宮ということです。数霊はウ19+マ6=25『力』です。子宮が『生み出す受容(間)の力』を持っているということです。古事記に、天照が高天原の機織り小屋で神の衣を織らせていると、須佐之男命その小屋の屋根に穴をあけ、皮をはいだ馬をお尻のほうから投げ入れたせいで、機織女(はたおりめ)が驚いて機を織る梭(ひ)(機の横糸を通す道具)陰上(ほと)(女性器)を突いて死ぬという場面があります。出産の時はウマと子宮から生まれ出ますが、男性器が女性器に入る時はそれとは逆に入りますので、マウとなりお尻から入ることになるからお尻から入るのです。男性器凸と女性器凹は、視点が違っているだけで本質的には同じものなのです。女性器は男性と交わる時は凹の陰であり子を産む時は凸の陽となります。どこから見るかで違ってくるということです。この逸話はそのことを物語っているということです。
次は未(ひつじ)です。未は漢文で何と読むんでしたっけ?サダオさん説明お願いします」
「例えば『未ダレ読マレ書ヲ』と書かれている場合は、『未(いま)だ書を読まず』と読み下すように『未(いま)だ~ず』いうように一字もしくは何字か下から返って読む」
「ありがとうございます。見事受胎したとしても、最初から人間ではなく魚類→両生類→爬虫類→哺乳類という進化の過程を子宮の中で再現していくので、未という字は『未だ人にあらず』ということで、まだ人になっていないという意味です。未というエネルギーが体を作っていく。未は体の外側をモコモコと毛が覆っていますよね。あんなふうに外側(体)ができていくということです。ヒ1+ツ44ジー23=22(へ)で思念は縁・外側です。しかし未だ哺乳類になっていない。『未だ人にあらず』ということです。
未の次は申(さる)です。サルの思念は『遮りに留まる』つまり子宮の中に入ってはいるけれど、必ず子宮から去る=子宮から出てくるという意味です。サ28+ル12=40。40の思念は奥深くなので、『子宮の奥深くにまだいる』というのが申なんです。示+申=神なので、申になると神(天照)が入ってくる。そして示されると天照になって出てくるということです。」
「質問です。示+申=神はわかるけれど、どうしてその神が天照なのかがわからない」
「それはこの間カタカムナ学校の質問会で私が質問したことなので、任せてください。私達全ての人間の命そして心の中心には、天照が存在します。人間が生きながら肉体という殻を破って、光そのものになることが『岩戸開き』だということを古事記等の神話は示しています。胎児の状態であった申が出産によって外に出る(去るモノ)ことで、『言葉をしゃべる人間』となります。聖書の『ヨハネによる福音書』に『言(ことば)は神であった』と書かれていますが、言葉が神なので、申はこの世に生まれ出て肉体が『示』され、言葉を『申す』神になるという意味です。その言葉が光を生み出しているのです。それを天照の太陽神と言うのです。人間として生まれてきても、その事実に気づかない限り、私達はずっと岩戸に隠れている天照の状態なのです。という信子先生の答えでした。
次は酉です。トリの思念は『統合したものが離れる』ということです。酉の上の部分は鳥居⛩の形に似ていますね。これは子宮口の奥の鳥居(奥宮)のことです。これは子宮口は開くのだけれど酉の下の部分がまだ細長い産道が残っているということを示しています。陣痛が始まり子宮口が開いて赤ん坊が出てくるということです。酉という字は西という字に似ていますね。天照が出てくるという想定なので、太陽が東から出てくると考えると、根源に入っているのは西ということなのです。出口を東と見てそこから太陽(天照)が出てくるのです。ト17+リ8=25。25の思念は力なので、これは母体が胎児を押し出そうとする力と胎児が外に出ようとする力の統合ということです」
リュウはいつの間にかこくりこくりと居眠り状態になっていた。
私達三人もトイレ休憩した後、お茶をのみながら浜さんがサダオさんに、
「ところでサダオさんの干支は何ですか?」と尋ねた。
「俺の干支は十二支の最後の亥(い)だよ。」
「じゃあもう少しですね。さて最後から二番目は戌です。戌は産道の中に挟まっていて一番苦しい状態です。伏見とは伝わる犬が見ると書きます。伏して見ている状態ですが、必ず出てくるのでここまで来たらもう大丈夫ということです。犬は安産の守り神なので、妊婦の腹帯には犬印のマークが付いていますよね。数霊はイ5+ヌ39=44(ツ)となるので、合わせて読み解くと『伝わるもの(イ)が(子宮を)突き抜けて(ヌ)(一番細いところにギュッと)集まっている(ツ)=圧力を最も受けている』となります。戌という字には戈(ほこ)という字が入っていて、戈は子宮を突き抜けて出ていく力を示しています。
最後の亥(い)はいよいよサダオさんの干支ですね。亥は猪なので、産道に入ったら絶対に後ろに戻らず猪突猛進して一方方向に進むということです。数霊はイ5『伝わるもの』つまり見えてくる、実際に物としてこちら側に見えてくるということですね。そして亥に木偏を付けると、核という字になり『新しい天照という核を持った生命が生まれてきた』つまり一つの勾玉の核を持った命のことです。さらに亥とは亥(がい)という数字の単位でもあるので、一つの生命が億兆京亥と細胞分裂その他多くの手順を踏んで生まれてくるという意味でもあるのです。」
「十二支をカタカムナで読み解くと、生命が誕生するまでの一つ一つの段階になるということだよね。保久良神社は神社の奥から外に向かって子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥と鳥居に向かって並んでいる。鳥居は会陰の形なので、鳥居を出ると会陰の外に出て生命誕生ということになるということなのかな?」と私が言うと、
「その通り。鳥居の先に海が見える。海=産み出すということだ」とサダオさん。
「なるほど、人の生命が誕生する過程が十二支で示されているなんて、なんだか暗号解読みたいで面白いね」
「そうなんですよ。カタカムナ読み解きはまさに隠れている本質のエネルギーの動きを、解読するという感じなんです。神社の話のついでに言えば、神社ってお宮さんと言いますよね。お宮さんとは子宮のことなので、私達は精子になり参道を通って子宮であるお宮さんにお参りして神と統合するのです」

父と母

母の足は少しずつよくなっていたがまだまだ杖がないと不便であったし抗がん剤治療も続けていたので、時々頼まれた買い物をして持って行く等日常の連絡は欠かさないようにしていた。
土曜日の午後
「明日おばあちゃんの所へ行こうと思うんだけど、久しぶりにリュウも行く?」
「うん、いいよ」
「じゃあ、行く途中でおばあちゃんの好きなブドウとナシを買って行こう」と二人で話していると、サダオさんが夕飯の買い物に行ってくると言って出かけて行った。
帰ってくると、ナシとブドウだけでなくリンゴやキウイメロンまで入った立派な果物籠をダイニングテーブルの上に置いて、
「明日頼子さんにこれを渡してくれ」と言ったので、
「少し大げさだけど、お父さんからお母さんへのお見舞い」と言って渡すよと返事したが、うんともすんとも言わなかったので、オッケーなのだと思うと少し嬉しい気がした。 
母にそのことを伝えると、驚いたような表情を見せながらどこか安堵したような様子も見られた。
「サダオさんに私がお礼を言っていたと伝えてね」と母が言うので
「直接伝えたほうがお父さんも喜ぶよ」と言うと母は少し考えて、
「長い間話していないため直接電話とかするのは気おくれがするので、ハガキでも書くことにするわ」
拍子抜けするくらい素直な返事が返ってきた。

数日後、学校から帰ってきたリュウが嬉しそうに、庭で草むしりをしているサダオさんに向かって、
「おじいちゃん、大阪のおばあちゃんからハガキが来ているよ」と言うと、サダオさんは振り向きもしないで、
「俺の部屋の机の上に置いておいてくれ」
そっけなく答えたけれど、これは照れているなとすぐわかった。
私はリュウにハガキを私に見せるように目で合図をして、さっとハガキに目を通した。
 前略
日増しに秋深まりを感じる季節になってまいりましたが、いかがお過ごしですか?
私はがんの治療のせいで髪の毛が抜けましたが、治療ももうすぐ終わり髪の毛もすぐに元通りになるはずです。また左足の痛みも次第に治まりつつあります。
先日は好物の立派な梨と葡萄の入った豪華な果物セットをいただき、嬉しくて元気がでました。毎日美味しくいただいています。きみちゃんから定雄さんも肺癌を患っておられると聞きました。ご自分も辛い時に私のことを気遣っていただいたこと、とても有り難く心から感謝いたします。
お互い自分を大事にして、残り少ない人生を生きていきましょう。
定雄さんもお体を大事にご自愛なさってくださいね。
まずはお礼まで。                             草々
十月一日
                                  片田頼子
佐々木定雄様                             

母の誠実な性格と父に対する感謝の気持ちが伝わってくる文章なので、父も喜ぶだろうと思った。目に見えないエネルギーの流れが、私達親子の関係に少しずつ変化を及ぼしているのを感じた。
父と母が、同じ頃部位こそ違うけれど癌になるというシンクロが起こったことが、見えないところで二人が繋がっているということなのか?と思った時、以前リュウが癌は愛と同じ数霊を持っていると言っていたことを思い出した。
夜リュウに癌についての読み解きをもう一度教えてほしいと頼んだ。
癌の思念は「強い内なる力」で、数霊は23「示し・現象・死」で「愛・I・eye」と同じ数霊だと教えてくれた。
私は思念も数霊も癌についての様々な側面を伝えていると思った。
確かに癌は「強い内なる力」が暴走している感じがするし、癌を患っている人へ自分をもっと大切にしなさいというような示しであり、癌という現象であり、多くの人が死ぬ病である。そして癌が一番欲しているのは「愛」なのかもしれない。「愛」が癌の特効薬なのかもしれないとその時ふと思った。
浜さんは、「愛」は「ア感じる・生命」「イ伝わるもの・陰」なので、「愛」のイメージに合う思念を選ぶと「感じて伝わるもの・感じて伝えるもの」であり数霊23には「示し」という思念があるので、「愛とは示すもの」だと教えてくれた。
サダオさんは、そのことに気づいたのだと私は思った。気づいたからサダオさんは母のところに母の好物をお見舞いに持って行かせたのだ。そしてその気持ちは、母に通じたと言ったら言い過ぎだろうか?
それ以来私は距離をおきながら興味をもっていたカタカムナに心惹かれるようになっていった。サダオさん用の初級の言霊・数霊・形霊の録画を見ながら、サダオさんに解説してもらうことで、簡単な言葉ならなんとか読み解くことができるようになった。

宗像三女神

 二〇二〇年十月十九日福岡県の宗像大社に正式参拝して、カタカムナ神の封印を解くご心事が行われるというので、サダオさんは前々日の夜神戸からフェリーで福岡に向かい、福岡の友人宅に一泊して宗像大社の正式参拝に参加し、その後宗像大社の中津宮と沖津宮遥拝所がある大島にもお参りし、太宰府天満宮にもお参りして二十一日の夜新幹線で帰途についた。
 福岡と言えば辛子明太子、太宰府天満宮と言えば梅ヶ枝餅というように、定番のお土産を買って帰り、ちょうどお風呂上りのリュウにお土産だぞと見せた時、紙袋からすべり落ちたポストカードを拾ったリュウが、ポストカードに描かれている絵を見て驚いたような表情になり、しばらくじっと見つめて口を開いた。
「この絵の三人の女の人達に似ている。奈良に行った時夢の中で僕にカタカムナ48音思念(言霊)表をくれたのは…。この絵の女の人達が来ている着物と全く同じような着物をきていたよ」
「リュウ、この三人は、宗像(むなかた)三女(さんじょ)神(しん)と言って、天照大御神と須佐之男命の誓約(うけい)により須佐之男命の十(と)拳(つかの)剣(つるぎ)から生まれた多紀理毘売(たきりびめ)(田(た)心(ごり)姫(ひめ))命(のみこと)と市寸島比売(いちきしまひめ)(市杵島姫)命(のみこと)そして多岐都比売(たぎつひめ)(湍津姫)命(のみこと)のことで、三女神は言霊を現象化するカタカムナ神でもある。興味があるなら調べてごらん。疲れたからもう寝る」
翌朝リュウは台所に立っているサダオさんに向かって、
「『宗像三女神は、宗像大社を総本山として、日本全国各地に祀られている三柱の女神の総称である。記紀に於いてアマテラスとスサノオの誓約で生まれた女神らで宗像大神(むなかたのおおかみ)、道主貴(みちぬしのむち)とも呼ばれ、あらゆる「道」の最高神として航海の安全や交通安全などを祈願する神様として崇敬を集めている。』とウイキペディアに書いてある。おじいちゃん『道』って『道路』の道のことなの?」
「そうだな、日本文化には華道や茶道、剣道や弓道、合気道や柔道など『道』と名のつくものが多い。一言で言えば、それらの技の習得及び上達の修錬を通して、人としての魂を磨き成長する『道』ということだな。道主の貴が導く『道』とはカタカムナの道だと思う」と言ってリュウにお弁当を手渡した。
 リュウは夢に出てきた「宗像三女神」のこと、「道」のことをどんなふうに感じたのだろう?
 カタカムナが、知識とか情報とかを超えた目に見えない生きたエネルギーとして、私達家族や浜さんの人生になにがしかの影響を及ぼしているということを感じるにつけ、私もサダオさんや浜さんのように、本格的にカタカムナを学びたいという思いが強くなっていき、サダオさんやリュウに教えてもらった読み解き方で時々言葉を読み解いてみたりしていた。

家はイ(伝わるもの)エ(移る)なので、思念は『伝わるものが移る』となり、数霊は48で言霊48音と読み解けるとサダオさんが言っていたので、思念と数霊を合わせて『家とは(住んでいる人々の)言霊48音で伝わるものが(家族のそれぞれに)移る(所)』とか、花はハ(引き合う)ナ(核)なので、『(花びらが)引き合っているのは中心の核』となり、心はコ(転がり入る)コ(転がり出る)ロ(空間)なので、『心とは(様々なことが)転がり入っては出る空間』であり数霊は66なので、『(様々なことを)次々と受容する』等々。
言葉を次々と読み解いていくと、それぞれの言葉の奥に隠されていた言葉の本質が現れ出てくる。私は子供の時から言葉が好きだった。言葉で紡ぎだす世界も好きだった。だから英語を日本語に翻訳する仕事についたのだ。翻訳する時、機械的に英語を日本語で表現するのではなく、許された時間内でできるだけ英語の言葉を味わい、自分の感性に合う日本語に訳すということを自分に課してきた。もちろんぴったりした言葉に出会えない時も多々あった。自分で言うのもおこがましいが、翻訳家として名前を知ってもらえるようになったのも、翻訳をただの辻褄合わせにしないよう努力してきたからなのだという自負を持っていた。しかしいつも心のどこかで、「何かが足りない」と感じていた。
そしてカタカムナと出会い、もっともっと言葉の内に分け入り、言葉の本質の海で泳いでみたいと思うようになっていった。
こうして私はカタカムナ学校4期生に入学して本格的にカタカムナを勉強しようと思うに至った。とはいうものの、現状では忙しすぎるので仕事を今までの半分にするにはどうしたらいいか浜さんに相談すると、
「思い切って一年間休んでしまうという手があります。貴三子先生は引く手あまたの翻訳家なので一年休んでも、すぐに翻訳の依頼はあると思いますし、これまでの仕事ぶりから考えて、貯えも十分あると思いますので、今抱えている仕事を終えた後は仕事を引き受けないようにすることと、予約の仕事は体調がすぐれないとか、鬱病等病気を理由にできるだけ早く別の人に回してもらうか、自分で誰かに頼んでその人を紹介するとか、大丈夫です。なんとかなります。もちろん我が社としては痛手ではありますが、一年後はさらに成長された先生に大いに活躍していただくということで、私が話をつけます」
「一年休むなんて考えてもみなかった。でもその案いいね。今までリュウを育てるためにがむしゃらに走ってきたけれど、リュウも来年は中学生になるし、ここらでちょっと仕事を一休みしてカタカムナをしっかり勉強するのもいいかもしれない。そうと決まれば今とりかかっている仕事をできるだけ早くやり終えて、予約の仕事を引き受けてもらえる人をピックアップするので、浜さん協力お願いします」
「えっ、もう一年間休むことを決めちゃったんですか?はやっ!」
自分で提案しておきながら浜さんは驚いていた。

私とカタカムナ

 サダオさんと浜さんはカタカムナ学校の初級試験・中級試験・卒業試験をクリアして見事カタカムナ認定講師の資格を得て、卒業生のカタカムナブラッシュアップグループでもあるカタカムナ松下村塾に入塾し、リュウは中学生になって歴史研究部に入部した。
私はカタカムナ学校に入学し久しぶりに仕事のことを忘れて過ごした。
コロナ禍ということもあって、カタカムナ学校は録画によるオンライン講義が中心で、月末の土曜は、三人の学校生が、「全てに意味がある」という15分間の読み解きを発表した後、録画を見て疑問に思ったことやわからないことを学校長の吉野信子先生に質問する「質問会」が行われた。さらに月末の日曜日には、信子先生がその時々に行かれた場所や大事だと思われることについて読み解かれた内容の「勉強会」が行われた。
月半ばの木曜日は、カタカムナ学校卒業生による一時間の「特別講義」が行われ、翌日の金曜日にはざっくばらんな気持ちを話したり質問したりする「放課後トーク」が行われたり、お能の謡で母音を響かせることが、人の心を平和な気持ちにさせる母音の響きやカタカムナ文明が栄えていたと考えられる平和な縄文時代のカタカムナ人の心に繋がるということで、一か月に一度能の謡の謡い方で作られた「カタカムナ平和の詩」の講習会も行われた。
さらに毎週火曜日と木曜日は信子先生のお嬢さんの里美さんがホストの「読み解き会」がズームで行われて、多くの学校生が読み解き会を通じて、読み解き方を身に付けていった。
また卒業後一年間に限って引き続き録画を見てカタカムナの勉強を深めることができ、希望する者は所定の金額を支払えば、一期下の「質問会」や「勉強会」その他のズームで行われるカタカムナ学校の行事等に参加することができるというお得な特典もあった。
私は思念や数霊で様々なことを読み解くのが新鮮で楽しかった。インド神話を読み解くことと、漢字を分解(破字に)して読み解くことにはまっていた。
読み解いていくと、インド神話の本質はカタカムナの本質と繋がっていた。

インド神話では、世界の始まりを水だと考えており、カタカムナで読み解くと、ミズの思念は「実体が一方へ進む入れ物=生命を育て生み出す子宮」となり、数霊マイナス18は「生命の入れ物=子宮」、つまり「水は生命を入れ育て生み出す子宮」であると読み解ける。そのことは、私達人間が母の子宮の羊水で育ち羊水と共に生まれ出ることと繋っていて、私達の体の70%は水分であるのと地球の70%は海であるということは相似象になっており、最初の生き物は海から生まれたという説は、水が生命の入れ物である子宮であるということと矛盾なく一致していたり、インド神話では時間のことを「カーラ」と呼び、「時間には始まりも終わりもなく円を描くように繰り返されているため、人は生まれ変わるという輪廻思想(サンサーラ)がある」という考え方は、カタカムナの生命の永遠循環システム八咫鏡図象のエネルギーの動きと同じであることに気づいた。
このことをサダオさんに話すと、
「日本人にも人気があり一時リュウもはまっていた象の頭を持つガネーシャについて調べて読み解くと、面白いかもしれない。やってみたらどうだ」とインドの神を読み解くことについての後押しがあった。
私はカタカムナの勉強や読み解き以外に、庭にミニトマトを植えてみたり週2回くらい近くの公園まで散歩したりと、仕事中心の生活の中で今まで考えもしなかったことをやり始めて、新鮮な毎日を送るようになり、「人生捨てたもんじゃない」と思えるようになっていった。
 
漢字を破字にして読み解くことに関しては、
「赤」という漢字を破字にすると、土+リ+リの反転した形となり、土=十+-=0そしてリ+リの反転した形=0で、0+0=0、つまり赤=0となる。アカの思念は、ア(生命)+カ(力)=生命力と読み解け、生まれたばかりの赤ちゃんは0歳で生命力の塊である。生まれ年の干支が一巡すると還暦と言い、六十歳になって赤いちゃんちゃんこを着てお祝いする。赤いちゃんちゃんこを着るのは、暦が循環して再び生まれたばかりの赤ちゃんに戻るという意味であり、暦が循環する=マワリテメグルは、赤の数霊43「うつる」というエネルギーの動きと合致している。また、人の体の中でマワリテメグル循環をして赤いものは血液である。つまり、赤=0=生命力=マワリテメグル循環である。
これはちょっと面白い発見であった。

ガネーシャと加具土

ある晴れた気持ちの良い日、象の頭に人間の体を持ったガネーシャが、大好きなブーゲンビリアの花が咲き乱れる木の傍に座って、目の前の池で水を飲んでいる白い雌牛の様子をじっと見つめていると、ブーゲンビリアの花の蜜を吸っていたムラサキタイヨウ鳥という鳥が、チュリチュルチュルチュイチュイチュイと長く囀っていたかと思うと、突然ガネーシャに話しかけてきた。
「ガネーシャ様こんにちは。初めまして私は日本で火の神として生まれたカグツチと申すものです。実は、私は日本で国生みをしたイザナギとイザナミの最後の子供なのですが、母であるイザナミが、私を生んだためにホトにやけどをしたことが原因で亡くなり黄泉の国へと旅立ったのです。そのことを嘆き悲しんだ父イザナギは、悲しみと怒りにまかせて生まれたばかりの私の首を切り落として私を殺したのです。噂によれば、ガネーシャ様あなたも父親のシヴァ様に首を切られて亡くなり、母親であるパールヴァティ様の怒りに合ったシヴァ様が慌てて首を探しに行かれたが、首が見つからなかったので通りがかった象の首を切ってあなた様につけたとお聞きしました。頭が象となってからのあなた様は、とてもパワフルな神様となって日本でも幸運と商売繁盛の神様として超人気者でもありますし、天台宗や真言宗の真言蜜教では聖天・歓喜天と呼ばれて天部の神様として尊ばれています。
私は真っ暗闇の黄泉の世界をさ迷うばかりで、自分が何者に生まれ変わるのか?自分の使命は何なのか?まだわかっておりません。父に首を切られた者同士のよしみとして何かヒントになるようなことがありましたら、お教え願いたいと考えて日本からエネルギーを飛ばしてやってまいりました。どんな些細なことでもかまいません。何とぞ手がかりをお教えください。」
「ムラサキタイヨウ鳥を依り代にしてその姿を借りているカグツチ様、あなたも私と同じく父親に首を切られたとあっては、とても他人事とは思えません。お役に立てるならなんとかお役にたちたいと思います。そう言えば私の体験では父は息子と知らずに私の首を切ったものの、息子と知らされると大慌てで首を探しまわりました。私に神に似ている人間の頭をつけずに象の頭をつけたのは、象と神を繋いだ象頭神は運命が開いていくようなエネルギーを発しているからだと思われます。実際に象頭神になってから私の運命はまるで百八十度反転したかのように変化し開いていき、あれよあれよという間に幸運をもたらす商売の神として大ブレイクし続けています。息子の首を切ることは決してよいことではありませんが、その後の運命を考えると、そこに何か父の愛といったものを感じるのです。あなたと私の状況は全く違いますので、同じように考えることがいいかどうかはわかりませんが、父親がただ憎いという気持ちだけで自分の息子の首を切るでしょうか?私も今父親でもありますので、父親の気持ちはわかる気がするのです。父親が願うのはただただ息子の自立です。運命が開いて何倍もよくなることを願っています。私が象頭神として人々に幸運をもたらすことが、私にも幸運をもたらすそのような生き方ができるようになったのは、まさに父と母が願ったことなのではないかと思うのです。あなたは今も黄泉の世界をさ迷っておられるそうですが、その黄泉の世界にはあなた様のお亡くなりになったお母さまもいらっしゃるのではありませんか?その黄泉の世界でお母様のイザナミ様にお会いになることができれば、何かわかるかもしれません。きっとあなたのお父様もお母様もあなたが黄泉のエネルギーから反転して何倍もの力をつけて蘇ることを心から願っておられると思います。あなたは火の神だとおっしゃいましたが、ヒの神なら日の神にも繋がっておられるようなそんな気がします。参考になるかどうかわかりませんが、私と同様に父親に首を切られたというお話を伺い、私が感じたことを申し上げた次第です。そう言えば、日本にはカタカムナという文字があって、その文字の一つ一つが日本語を作っている48音にあてはまっていてその音の一つ一つが言霊としてのエネルギーを表す思念があるそうです。そしてそれは1から48までの数霊にもなっており、物や神々そして人々の名前を言霊や数霊を駆使してその本質を読み解く読み解き師という存在がいると聞いております。あっそうそう、物の形や日本の文字である漢字の形をも分解して読み解くとも聞いています。もしかしたら、その読み解き師にご自分の運命や名前を読み解いてもらえるかもしれません。」
「ガネーシャ様、あなたは日本の神でもないのに、何故私が知らない日本の文字についてご存知なのですか?」
「カグツチ様、私の日本名聖天(しょうてん)のカタカムナ数霊はカタカムナと同じ103なので、カタカムナの情報がけっこう私のところに届くのです。だからカタカムナに関しては日本の神であるあなたよりよく知っているのです」
「ガネーシャ様、色々とアドバイスをくださりありがとうございます。父のことはなかなか許せそうにもありませんが、黄泉の国で母のイザナミに会って話を聞いたり、カタカムナ読み解き師を探して読み解きを依頼することはできそうです。ガネーシャ様にお会いして、私も嘆き悲しんでいる現状から希望の光が射してきました。これから忙しくなりそうです。あなたは本当に幸運の神様です。感謝いたします」

首を切られたガネーシャとカグツチ

「お母さん、また変なことが起こったよ。さっき本を読んでいたら、『鬼滅の刃』の主人公の炭治郎のフィギュアが僕に話しかけてきた」
「えっどういうこと?」
リュウの話によれば、リュウが本を読みながら居眠りしかける寸前に、本棚に飾っていた炭治郎のフィギュアがリュウに向かって
「初めましてリュウ殿、どうか眠らないで私の話を聞いて下さい。 
私は国生みをしたイザナギとイザナミの最後の子供で火の神でカグツチと申します。母であるイザナミが、私を生んだためにホトにやけどをしたことが原因で亡くなり黄泉の国へと旅立ったのです。そのことを嘆き悲しんだ父イザナギは、悲しみと怒りにまかせて生まれたばかりの私の首を十挙の剣で切り落として私を殺したのです。
私は父親に首を切られた理由に納得がいかずにずっと黄泉の世界をさ迷い続けていたのですが、ある時インドや日本で人気があるガネーシャという神様も父親のシヴァ神様に首を切られたと聞き及び、はるばるインドまで訪ねていき色々とお話をうかがいました。
ガネーシャ様は、日本の古代文字カタカムナの思念や数霊で名前や出来事の本質を読み解くカタカムナ読み解き師なる存在がいるので、その者に読み解いてもらうのがいいとおっしゃいました。それで話を聞いてもらえる読み解き師の方を探してこちらのお宅にたどり着いたのですが、カタカムナを学んでおられるあなたのおじい様もお母様も私の声が聞こえません。
どうやらあなたには私の声が聞こえそうなので、あなた様からおじい様かお母様に読み解きを頼んでいただきたいと思い、私に関係あるヒノカミ神楽を舞う竈門炭治郎の人形を依り代にしてあなた様に会いに来たのです。くれぐれもどうかよろしくお願いいたします。
読み解きが完了しましたら、竈門炭治郎の人形に話かけて読み解きを教えてください。
ご苦労をおかけしたお礼は必ずいたしますので、どうぞよろしくお願いいたします」と言ったというのだ。
その話を聞いて私は鳥肌が立ち呆然としてしまった。何故なら、カタカムナ学校卒業のデモンストレーションでインド神話とカタカムナの共通性について読み解いた私は、カタカムナ学校5期生への特別講義で、父親に首を切られたという共通性を持つガネーシャとカグツチについて読み解こうと計画し、資料を集めてすでに読み解きの大半を終えていたからだ。
しかしながら私はカタカムナ読み解き師などではない。それでもいいのなら、なんだか面白い展開になってきたので、この流れに乗りリュウの力を借りて私の読み解きを火の神カグツチに奉納しようと考えた。

加具土は伊邪那岐に十挙(とつか)の剣(つるぎ)で首を切られた。「トツカノツルギデクビヲキル」の数霊を調べてみると、321→3+21=24となり、「光(3)が一方へ進み(21)消失する(24)」と読み解ける。これは太陽の光である天照の岩戸隠れを意味していると考えられる。
また、加具土の数霊は85で天照と同じ数霊なので、数霊共通の原理(同じ数霊を持つ言葉の本質は共通している。)によれば、加具土と天照は同じ本質を持っていると考えられる。また、加具土は火の神で天照は日の神と、火と日は「ヒ」と同じ発音であるため、同音同質の原理(「同音異義語」は同じ振動数を持つため、必ず共通した同じ思念を示す)により、ヒ「根源から出る・入る」という同じ思念を持つだけでなく、数霊も同じ1という数霊であるため、天照と加具土は同じ本質を持つと考えられる。思念も数霊も同じであるということは、加具土=天照と考えられ加具土は天照に生まれ変わると読み解ける。
さらに、十挙の剣(トツカのツルギ)の数霊は133。これを1・33で読み解くと、「根源から次々光が出る」となる。
「サンジュウサン」の数霊は185→1・85「根源から出る天照」と読み解くと、133は「根源を出入りする天照」となる。
その後伊邪那岐が伊邪那美に会いに黄泉の国へ行き、帰って来て身を清めるために左の目を洗うと天照大御神が生まれた。
黄泉(ヨミ)は闇(ヤミ)であり、ヤミとは飽和する(ヤ)光(3)のことであり、光が飽和するとは、光がいっぱいいっぱいになっている状態なので、その光が外へあふれ出ると、ヨミ(43)がミヨ(34光)に反転する。これは、黄泉の国にいて光が飽和状態であった迦具土が反転して光を出し太陽神天照として蘇る(黄泉がえる43→34)ことを示していると思われる。
加具土はヒの神なので、死んで根源に入っても再び根源から出てくるのである。
「首を切る」とは「喉を切る」ことである。「喉を切る」の数霊は85で加具土そして天照と同じである。このことを考えると、伊邪那岐は加具土が天照として蘇るのを知っていたのかもしれないと思えてくる。
加具土を破字にすると、加具土=力+ロ+目+一+ハ+土「力が空間の中心の目の根源に入って引き合うゼロ空間」と読み解ける。カタカムナの目の根源には須佐之男がいるので、加具土は目の根源にいる須佐之男と引き合っている。つまり、加具土が須佐之男に生まれ変わることを示している。
さらに月読み(ツキヨミ)は、「集まる(ツ)エネルギー(キ)は陽(ヨ)の光(3)=太陽=日=火」と読み解け、加具土が月読みに生まれ変わることを示している。
加具土が天照・須佐之男・月読みに生まれ変わったので、伊邪那岐は「自分は子をたくさん生んできたが、その終わりに三柱の貴い子(三貴子みはしらのうずのみこ)を得た」と言ったと考えられる。
ミハシラノウズノミコ「実体(ミ)と引き合う(ハ)示し(シ)の場(ラ)で生れ出た(ウ)存在が内側に一方に進み(ズ・加具土神の死を意味する)、時間をかけて(ノ)光・太陽(ミ)が転がり出る(コ)) と読み解ける。これは加具土が天照・月読みに生まれ変わることを示している。
三貴子を破字にすると、三貴子=三+中+一+目+ハ+子(コ)「光(三)はカタカムナの中心(中)の根源(一)の目(目)と引き合い(ハ)ながら転がり出る(子コ)と読み解ける。」これは「光(天照・月読み)は(カタカムナの)中心である根源の目(にいる須佐之男)と引き合いながら転がり出る」ということであり、天照・月読み・須佐之男の三貴子はお互いに引き合いながら生まれ出ると読み解け、天照・月読み・須佐之男三神はセットになって生まれ出るので、生まれ出る時は一緒であるということを示していると思われる。
この時伊邪那岐は、天照に自分がつけていた首飾り御倉板挙(ミクラタナ)を与える。 ミクラタナの数霊は85で、天照そして加具土と同じである。
次に「父が息子の首を切る」を読み解いてみると、数霊は191となり、19・1で「生まれ出るために根源から出る」と読み解け、1を柱に見立てると「生まれ出て柱を立てる」とも読み解ける。また19は10と9なので、「トコ」とも読めるので、「常立(トコタチ)するために柱を立てる」と読み解ける。これらの読み解きからわかるのは、「父が息子の首を切る」話は残酷な話ではなく、息子を自立に導く「父の愛」の話であると読み解けるのである。
また、「父の愛」は同音同質の原理から「乳の愛」でもあり、それは自分の乳を与えて子供を育てる「母の愛」でもあると読み解ける。
さらに、「父の愛」の数霊は97つまり「球の調和」と読み解け、父の数霊が54→5+4=9となり「陰陽の球=勾玉」と読み解けるので、「父の愛」とは「陰陽勾玉(母と父)が時間をかけて子供を育てる愛」と読み解けて、父と母の愛が時間をかけて加具土を自立に導き育てているので、加具土は次第にパワーアップして天照・月読み・須佐之男の三貴子に生まれ変わると考えられる。
三貴子を読み解きながら私の名前貴三子の貴と三をひっくり返すと三貴子になると気づき、私が加具土や三貴子を読み解くことになったのも偶然ではなく、貴三子と名付けられた時から既にそうなるようことが決まっていたのかもしれないとふと思った。
私は、これらの読み解きを加具土に奉納するために多少馬鹿々々しいとは思いながら、リュウの部屋の竈門炭治郎のフィギュアの前で二礼した後、加具土に関する読み解きをわかりやすく説明し、さらに二礼二拍手した。
「お母さん炭治郎が涙を流している」とリュウが言うので、目の前のフィギュアの目を見ると、確かに目元のあたりが濡れている。
「炭治郎いや加具土が、『今までの自分の父に対する恨みや母に対する申し訳なさが、180度反転する感動を覚えて、目の前がぱっと明るくなりました。貴三子殿にはいくらお礼を言っても言い足りません。このお礼は必ずいたします』と言っているよ」と言うリュウの言葉を聞きながら、私は炭治郎の目から流れ出る涙を見ていた。

屋久島へ

二〇二三年三月三十一日~四月三日、私達佐々木一家の三人は、吉野信子先生が昨年出版された「形霊の超空間」屋久島出版記念講演会にかこつけて、久しぶりに家族旅行をすることになった。 
屋久島講演会は、ご主人の紀久さん(ニックネームはeppyで点描画家)が頚髄損傷するほどの事故から這い上がる過程で、一家で関西から屋久島に移住し、屋久島で「島Cafe La・モンテスラ」を経営されている得平惠美さんの主催で行われた。
カタカムナ学校4期生の惠美さんは、カタカムナ形霊でフラダンスの振り付けを表現する形霊フラを創作し、愛・生命・平和等を形霊フラで表現されている。
 
旅行中のことは、備忘録として日程や時間を追って私が書き記したものを紹介する。

三月三十一日午前十一時二十分大阪伊丹空港発午後十三時十分屋久島着のフライト。
屋久島到着後タクシーで屋久島山荘(林芙美子が小説「浮雲」を書くための取材で泊まった宿)に向かう。
宿に到着後、雨が降っていたので夕飯まで部屋でゆっくり昼寝をする。
七時の夕飯の時、吉野信子先生とご主人のカタカムナ学校事務局長、そしてカタカムナ学校のスタッフでもある信子先生と事務局長の長女の吉野里美さん一家、その他日本各地から集まって来たカタカムナ学校の卒業生や在校生達と顔合わせをする。

四月一日雨
朝食後八時四十五分にロビーで待ち合わせて、事務局長の案内で地域の公民館に向かう。
九時スタッフ集合・会場設営
十時十五分開場→十一時講演会開始
屋久島憲章の紹介→主催者得平惠美さんによる屋久島読み解き
十一時二十分から九十分講演会

〈私がまとめた吉野信子先生の講演会の内容〉

「名前が私の本質を物語る。真心だけが現象化する。言霊を現象化する人こそ心の天皇なので、日の本の言霊が大事。日本が世界天皇となり世界を救っていく。愛をもって日本語を話す人が増えて世界を救う。
カタカムナ学校とは本当の自分を生きることを学ぶ所であり、自分が発する言葉が本物になる。それは本当の人間になるということである。
屋久島は岩でできている=島自体が磐座。島自体が龍神を起こす形。岩・石=地球の意思(思い)の塊(龍神の思い・縄文の思い)
九州の一番高い七つの山々が屋久島にあり、千メートル級の山々が四十個も存在している→プレートからすごくとがっている(地球の意思)→屋久島の形はものすごく長い岩。海の底から何千メートルの高い岩が何十個もある。磐座がすごく長い姫とはイワナガヒメ。イワナガヒメはみにくいと言われて瓊瓊杵尊から返されたと神話には書かれているのだが、みにくいということの本当の意味は、イワナガヒメは光の本体であり、光が飽和しているので光がまぶしくて見にくいということである。
屋久島では、龍のエネルギーと水のエネルギーが循環して光が生まれる。光が雨を降らし、龍神は下からと上からと飽和している。
岩でできた島なので、岩にへばりついた土の少ない栄養を摂るために、植物が生命力を強くして踏ん張って生き延びてもちこたえてきたため、樹齢千年以上の縄文杉が存在している。
種子島の精子と屋久島の卵子が統合して言霊となり、思いのエネルギーが海から湧きあがってくる。屋久島がイワナガヒメで桜島がコノハナサクヤヒメ。屋久島(イワナガヒメ)と桜島(コノハナサクヤヒメ)の間には海があり、銀と金が反転を起こす境目のところが海彦(精神文明)と山彦(物質文明)の境界線である。
南西諸島そして日本の最西端である与那国島から銀龍が駆け上がり、銀龍のエネルギーが入ってきて屋久島と種子島が統合し、銀の龍のエネルギーが金の龍のエネルギーに反転する。銀=金+艮で、これが反転すると艮+金=艮の金神となり艮の金神が出てくる。
艮の金神は、富士山のところまで日本を駆け上り、世界の艮の方向へ行くことで、日本が世界を救う艮の金神になるという日本の役割が設定されている。
与那国島ドクターコト(9・10)から始まった「命を救いたい」というエネルギーが屋久島に来ると、屋久島の救いの宮でもある益救(やく)神社は、益々救う神社と読み解ける。屋久島は救世主で八つの救いの島である。
屋久島+種子島→エネルギーが銀龍から金龍に反転して鹿児島に上陸する。上陸するところにあるのが開聞(かいもん)岳で、そこから日本が開門していく。開聞岳がある場所が指宿(いぶすき)という所で、指に宿ると書く。この字の持つ意味は、銀の龍が反転起こす時に銀の龍の指に宿っているものつまり、龍が持っている玉が開いていくというのが開聞岳という名が持つエネルギーである。日本では昔からこのようにその土地の働きのシステムが山や地名として名づけられていた。
屋久島での愛の言霊を鹿児島にいる金の龍に渡す。それは母の愛を子供に伝えるということであり、父と母の愛を知ったアマテラスが屋久島で反転を起こすということである。
そのことによって諏訪に封印されていたタケミナカタ(艮の金神)が立ち上がってくる。
屋久島でカタカムナの講演会を行ったのは、イワナガヒメに大地を打ち破って中から出て来なさいと言う意味。トーラスの穴のところで、闇の中にいる者こそ本当のアマテラスで、コノハナサクヤヒメとイワナガヒメが一つになった時、本当のアマテラスが出てくるとずっと言っていた。講演会が行われた四月一日、数霊41は「奥深くから出てくる」という思念でその音のヲーの日に開催された。四月一日には、地球の中心からオオカミ(大神・狼)がヲーと出てきて中心が開いていく。中からアマテラス大神が出てくる時に、屋久島の数霊と同じ55名の参加者で講演会が開催された。55は「次々と伝わっていく」エネルギー。
宮崎の高千穂の銀(しろ)鏡(み)神社にイワナガヒメが祀られているが、そこにはニニギノミコトに醜いと言って返されたイワナガヒメが自分の顔を見て投げた鏡だけがあり、イワナガヒメ本体はない。本体はどこだろうと日本全国探したがわからず講演会の最後の地屋久島にいたのだと心から思った。
屋久島は一年の77%が雨の日で、まさに龍の雲が常に舞い上がり舞い降りて浄化の雨を降らしている。銀の龍は突き破る力で金の龍は広げる力。それが地球の外に出ると地球を包む波になる。それが大きく全てを包み込むとヤマトというエネルギーになる。それが得平惠美さんのフラダンスのエネルギーと繋がった。
全国から屋久島に集まってくださった方々の愛と真心のエネルギーがイワナガヒメを出し愛を放出させた。
金の数霊は77(キ29+ン48=77)で、講演会の主催者である得平惠美さんの数霊も77、島には77号線という道路がある。」

十二時五十分講演会主催者の方の形霊フラとレクチャー→狼の遠吠え
十三時十分ランチタイムと各ブース見学
十三時五十分午後の部開始
交流会(質問会)
十五時十五分得平恵美さんの形霊フラダンス二曲
十五時四十五分 サイン会
後片付け
十七時半~居酒屋シリウスでカタカムナ関係者の打ち上げ会

この日私は、里美さんと共にカタカムナ関係の書物の販売を担当していたのだが、講演会の終了近くになって、主催者の恵美さんが突然私の目の前に狼の被り物を置かれた。午前の部最後の狼の遠吠えの時被っているだけでいいのかなと思っていると、前に出よという合図があり前に出てそのままその場の流れで、何故か私が狼の遠吠えをやることになった。私は自分が初めて自費出版した詩集のタイトルが「山犬」だったことを思い出した。日本では昔狼のことを山犬と呼んでいた。三十代のその頃から狼に縁があったのだと考えると、目に見えない潜象界でこの日私が狼の遠吠えをすることが既に決まっていたのかもしれないとふと思った。そう思うことで目で見ることができない潜象界が身近な世界として感じられた。
山犬の思念は、ヤ(飽和する)マ(受容・需要)イ(伝わるもの・陰)ヌ(突き抜く・貫く)「飽和することを受容すると伝わるものが突き抜ける」と読み解ける。これはウォーという狼の遠吠えが、丹田からウォ―と声を発することで下から上に向かってエネルギーが上がっていき、心(ハート)を突き抜けてさらに上へと立ち上がっていくエネルギーの動きを表していると思われる。数霊はヤ(15)+マ(6)+イ(5)+ヌ(39)=65→6+5=11、6(受容・需要)5(伝わるもの・陰)11の数霊を持つものとして「今」と言う言葉があるので、「受容して伝わるものは今である」と読み解ける。つまり「ウォーと突き抜けて立ち上がる遠吠えのエネルギーは今のエネルギーである」ということだ。

四月二日雨
 バスで屋久島観光、
8時ホテル出発→屋久杉ランド散策→牛床詣所→ふるさと市場で昼食・お土産を買う→いなか浜(亀が産卵する浜)→大川(おおこ)の滝→シドッチ教会と巡り、ホテル到着後参加者交流の宴会が開かれた。
後になって気づいたのは、この日の行程で大きな意味があったのが、私が説明を聞き間違えたことが原因で私達家族三人が牛床詣所で道に迷ったことだった。
何故道に迷ったことが大事なことであるのかは翌日わかることになるのだが、一見よくなさそうなことでも、カタカムナで読み解けば物事の本質が現れ出るためこの世で起こること全てが何一つよくないとか悪いとかいうことはなく、起こること「全てに意味がある」というのがカタカムナの教えである。

四月三日曇り
 この日は飛行機の出発時間の十四時四十五分まで予定がなかったので、主催者の惠美さんとご主人が、飛行機組の六人を私達が迷子になった牛床詣所と益救神社に案内してくださった。
朝ホテルを出発する前に信子先生から「夢の中で牛床詣所の苔が息苦しいと言っていたので、盛り塩をした所の塩を水で流してほしい」という依頼を受けたため、大事な任務を遂行すべくまずは牛床詣所に向かい、塩を水できれいに流して掃除した。
この流れで、前日私達三人が道に迷ったのは苔の命を救うという意味があったのだとわかった。
コ(転がり入る・出る)ケ(放出する)「転がり入って放出する」という苔のエネルギーの流れが塩で蓋をされて、シ(示し・現象・死)オ(奥深く)死が奥深くに作用して息苦しくなっていたのだ。それを水で洗い流すということは、「水で洗い流す」の数霊が37で「湧き出る」という思念なので、塩の蓋が洗い流されてなくなり止まっていたエネルギーが湧き出ることになり、死にかかっていた苔が元気になるということを意味すると考えられる。
牛床詣所、そこは、異次元の空間。
その後、お参りした屋久島の屋久の元の字だという益救神社(救いの宮)でも異次元体験をすることになる。
サダオさんが「今日はなんと益救神社の数霊43「うつる」と同じ4月3日だ。これはきっと大きな意味がある」と言った。
家族三人で拝殿に向かって手を合わせた後、神社の社務所も閉まっていて参拝者も少なく人気(ひとけ)もないのに、突然ドーンと太鼓の音がした。
リュウが「雲の間から光が…」と叫んだので空を見ると雲間から一筋の光が射していた。私は43(ヨミ)が反転して34(ミヨ・光)が出てきたのだと思った。同時に昨日大川の滝とシドッチ協会で私が持っていた旭日旗のイメージが思い浮かび、愛が発信・放射しているのだと思った。それは屋久島にある愛子岳(愛+子(こ)+岳(だけ))「愛が転がり出て(コ)発信放射する(ダ〈―26〉+ケ〈35〉=9発信・放射)」と繋がり、当日船で帰る予定の人達の多くが足止めをくらった時化(しけ)(シの数霊は23で愛も23そしてケ放出する)「愛を放出する」とも繋がっただけでなく加具土が天照として黄泉の国から蘇ったという私の読み解きとも繋がった。
屋久島空港十四時四十五分発の伊丹行きの便で帰途に就く。

銀龍と金龍

 浜さんに備忘録として記録した吉野信子屋久島講演会の内容を補足説明しながら見せると、
「南西諸島そして日本の最西端である与那国島から銀龍が駆け上がり銀龍のエネルギーが入ってきて、屋久島と種子島が統合し銀の龍のエネルギーが金の龍のエネルギーに反転するという話と繋がる話を、ニュージーランドのワイタハ族の長老が話しているのを聞いたことがある」と言ってその動画を見せてくれた。
 それはTOLAND VLOGというユーチューバーのグループとゲストとして招いたニュージーランドのワイタハ族の長老との対談の動画だった。
               
「長老のおじいさんや先祖は千年~千五百年前の日本語の古語を話せた。だから昔はニュージーランドと日本を行き来できて古語で話したという言い伝えがある。鎖国するまではずっと日本と行き来があった。鎖国で行き来が途絶えた。ニュージーランドから出発して黒潮に乗り北上して与那国のところで三方向に分かれる。一つは与那国から沖縄の沖を通って、九州四国の沖、紀伊半島の沖を通って茨城のほうまで来て、そこから太平洋を渡ってカリフォルニアに行って、それから南下して南米を通ってイースター島を通ってニュージーランドへと帰ってくるというルート。もう一つは与那国から与那国島の南側をユーターンして南下していくルート。星を頼りに然るべき時期に風を読んで天気を読んで、海流に乗って回遊する鯨と共にホエールライダーとして回遊していく。そうして与那国や淡路のほうまで行った。以前与那国に行った時に人面顔の巨石に出会った。その顔は斜めから見るとポリネシアンの顔に見えた。その人面岩は舌を出している。マオリの人達はよく舌を出すのだが、舌を出す意味は相手と交流をする、話をするという意味があるのだが、与那国島の人面岩は舌が上を向いている。どうして舌が上を向いているかというと、その場所が神と話をする場所だからで、人面岩の上に行くと半円の穴が空いていて、明らかにそこが祭事場だとわかる。
 金龍がシリウスから日本に降り立ち、銀龍がニュージーランドに降り立った。金龍がボス的存在で銀龍が二番手でいつもニュージーランドの銀龍が日本の金龍をサポートするという関係性なのだが、様々なことが封印されていて日本人自身がそのことをわかっていないため、日本人は目覚めてボスになってほしいという思いで長老は日本に来ている。そういう話を日本の若い人に伝えてほしい。若者達がリーダーになっていくべきだ。金龍としてのリーダー像は、日本人の先祖達がやってきたように賢くそうしてきたように静かに真実に導いてあげるといい。真実と言うのはとてもシンプルなので情報を与えすぎないようする。自分で考えることで自然に自分達のドラゴンが目覚める」
というような内容であったが、その時同時に浜さんが紹介してくれた「銀龍(ワイタハ)から金龍(ヤマト)へ」というワイタハ族の長老とワイタハグランドマザー評議会の一員中谷淳子さんの対談集にも同様のことが書かれていた。その本で長老が語っていた日本人と金龍との繋がりが私の心を捉えた。  
                                                 
この本の55ページ56ページにかけて次のようなことが語られている。

「中谷 長老もそうですが、多くの人が『日本人が世界の人を引っ張っていく』という話をされています。なぜ日本人なのでしょうか?金龍が関わっているからでしょうか?

長老 理由の一つは金龍です。もう一つの理由は、日本人の脳のキャパシティが特殊だからです。日本人の脳は、エンジニアリングや数学などに長けています。全体も細部も両方をよく見ることができます。
 私は多くの時間を祖父と過ごしたのですが、祖父は数学の考え方を教えてくれました。だから、私は他の国で起きていることをマクロな視点でもミクロな視点でも見ることができるのです。
 日本人が神々の与えてくれたギフトに目を向け、耳を傾けてくれることを願っています。彼らには世界の秘密を解き明かすだけの能力があるのです。

中谷 日本人には特別なDNAがあるということですか?このDNAはどこから来たのですか?

長老 龍です。つまりシリウスからともいえます。同じ龍族でもシリウスの様々な場所から来ていて、シリウス人にも異なるタイプがあるのです。いずれにせよ、彼らは自分たちが今果たすべき役割を忘れています。(中略)だから私は人々が早く目覚めることを願っています。」

  屋久島講演会での「日の本の言霊が大事。日本が世界天皇となり世界を救っていく。愛をもって日本語を話す人が増えて世界を救う」という話と本の中で語られている「日本人が世界の人を引っ張っていく」という話やユーチューブで語られている「長老のおじいさんや先祖は千年~千五百年前の日本語の古語を話せた。だから昔はニュージーランドと日本を行き来できて古語で話したという言い伝えがある」という話は本質的に同じことを言っている気がした。
さらに「南西諸島そして日本の最西端である与那国島から銀龍が駆け上がり銀龍のエネルギーが入ってきて、屋久島と種子島が統合し銀の龍のエネルギーが金の龍のエネルギーに反転する」という信子先生の話と「金龍がボス的存在で銀龍が二番手でいつもニュージーランドの銀龍が日本の金龍をサポートするという関係性」「ニュージーランドから出発して黒潮に乗り北上して与那国から沖縄の沖を通って、九州四国の沖、紀伊半島の沖を通って茨城のほうまで来て」というユーチューブの話も同じことを言っていると思った。
 そしてユーチューブや本に出てくるシリウスは地球にやって来たドラゴン(龍)族の故郷の星であるようだ。シリウスはおおいぬ座で最も明るい恒星であり、太陽を除いて地球から見える最も明るい恒星だと言われている。中国名は天(てん)狼(ろう)と言い、冬の空に輝く光を金色に光る眼を持つ狼に例えている。狼と言えば、カタカムナ学校では毎月の「全てに意味がある」の発表や質問会の最後に、狼の被り物をして狼(大神)の遠吠えをするのが慣例となっているが、龍族のみならず狼(大神)の故郷もシリウスなのかもしれない。そしてシリウスは龍族にとっての大神(狼)がいるところなのかもしれないと思った。
 そう言えば、屋久島講演会の打ち上げは「シリウス」という居酒屋で行われ、その会場のすぐ近くにも全く同じ「シリウス」という名の居酒屋があった。また屋久島最終日、フライトの待ち時間にチャイとパンの昼食をとったその日がオープンというカフェの名前も「シリウス」であった。
冬に屋久島から見るシリウスはきっととても美しいのだろう。

遺品は勾玉のエネルギー

「もしもし浜です。今日は折り入ってお話したいことがあってお電話しました。お時間大丈夫ですか?」
「浜さん久しぶりだね、元気だった?時間は大丈夫だよ」
「実は、昨日某有名テレビ局に勤めている知り合いの記者から貴三子先生に直接会って、アフガニスタンでお亡くなりになった定永龍男さんという方の遺品をお渡しして、遺品を預かった経緯をお話したいので、仲立ちしてほしいという連絡がありました。定永龍男って誰かと聞くと、貴三子先生と恋人関係にあった人だということなので、もしかして行方不明のリュウくんのお父さんなのではないかと思い電話しました。先生が会ってもいいとお考えなら、私が連絡係として仲立ちしますがいかがですか?」
 あまりにも突然のことだったので、衝撃が強すぎてすぐには返事できそうもないため、しばらく考える時間がほしいと伝えて電話を切った。
 電話があってから二日ほどは落ち着かず仕事も手につかなかった。しかしこういう時助けになるのがカタカムナであった。
私は心を落ち着けるために「遺品」を読み解いてみた。「遺品」の思念は「伝わるものが根源から強く出る」と読み解け、数霊は54→5+4=9(同じ振動を持つものは思念も同じなので9=球でもある)である。54→9とくれば陰(5)陽(4)の球、つまり勾玉と読み解ける。遺品は勾玉であり、それは亡くなった人が遺品を残した相手に強く伝えたい思いなのだ。そして定永龍男の数霊は101で「目の根源・統合する根源」と読み解けるので、カタカムナの象徴である㊉を示している。
「早く彼に会いに行かなければ」という「思いが湧きあがってきて、すぐに浜さんに連絡して浜さんの知り合いの記者さんとの仲立ちしてもらうよう頼んだ。
 数日後の夜7時私達三人は大阪の梅田で待ち合わせた。
浜さんの知り合いのテレビ局の報道関係の記者であるその人は、中川さんと言った。
 中川さんは
「これから申し上げることは佐々木さんにとってはお辛いことかもしれませんので、もし聞きたくない内容があれば、私の話を遮ってそのようにおっしゃってください。私は我が社のヨーロッパ在住の中東特派員から聞いたことを、一切脚色せずそのままお伝えするつもりでおります。」と前置きして話し始めた。
「実は昨年タリバン政権のアフガニスタンを取材する機会に恵まれ、我が社の中東特派員が首都カブールの人々にインタビューをした時のことです。あるアフガニスタン人の男にインタビューすると、たまたまその男は日本語を話せたので全て日本語でやりとりした最後に、男は『実は日本人ジャーナリストの定永龍男さんの遺品を日本の佐々木貴三子さんという女性に届けてほしいので、インタビューが一段落したら私の家に来てほしいのです』と言って、残りのインタビューも手伝ってくれて男の家に行くと次のような話をしました。
『「二〇〇八年アフガニスタン邦人拉致事件の裏に、報道されない別の事件がありました。その事件の主人公が定永龍男さんなのです。彼はフリーのジャーナリストとしてアフガニスタンの状況を取材していましたが、真実を追求する正義感からつい戦闘区域に侵入してしまい、流れ弾に当たって負傷しました。幸い弾も命中したわけではなく腕をかすっただけだったので命に別状はないため負傷して草むらに倒れていた彼を、近くの村にすむ私の従弟が助けて家に連れ帰り手当をしました。私も従弟と協力して定永さんの世話をしました。私達は敬虔なイスラム教徒です。困っている人を助けるのは当たり前のことなのです。私は学はないのですが、耳がとてもいいので微妙な音の違いを聞き分けることができるため、一度聞いた言葉は忘れません。邦人拉致事件で拉致され、当時の政府とタリバンの間の銃撃戦に巻き込まれて亡くなった方が属していた人道支援活動グループには、日本人が何人かおられて私は時々日本語を教えてもらっていました。日本語を話せたおかげで、定永さんとは人間として心と心の交流ができました。定永さんは体力もある元気な方だったので、少しずつ快方していく矢先見回りに来たタリバンに見つかり、私達三人はタリバンの隠れ家へ連れていかれることになりました。私と従弟はタリバンの信奉者ではありませんでしたが、その時の政権やアメリカ軍を信じているわけでもありませんでした。ただただアラーの神を信じる純粋なイスラム教徒なのです。タリバンはそのあたりのことはよくわかっているようで、私達に危害を加えることはありませんでした。定永さんのことも日本と交渉するための大事な人質であったため、危害を加えることはありませんでした。私は日本語と英語が話せたため、日本人の人質や欧米人の人質との通訳をさせられ、従弟は小間使いをさせられましたが、それなりの待遇はしてくれました。ただ残念なことに回復途中にあった定永さんを無理に移動させたことが原因で傷口から菌が入り彼は危険な状況に陥って日本と交渉する前に亡くなってしまったのです。定永さんは本当に素晴らしい人でした。外見や人種で人間を区別したり差別することは決してありませんでした。彼と過ごした日々は短い期間でしたが、私には忘れることができない思い出なのです。定永さんが亡くなられた後、タリバンの幹部と思しき男に呼ばれて、定永さんが持っていたカメラと腕時計、そして壊れた携帯電話と裏に佐々木貴三子と書かれた日本人とおぼしき若い女性が写っている一枚の写真を渡されて、引き続き人質の通訳を続けるよう言い渡されました。写真は以前定永さんが恋人だと言って私に見せてくれたものでした。定永さんは自分に何かあった時は、自分のアフガニスタンでの様子を恋人佐々木貴三子に伝えてほしいと言っておられたので、私はチャンスがあればこれらの遺品の全てを日本の佐々木貴三子さんに届けようとずっとそのチャンスを窺っていたのです。皮肉なことにアメリカがアフガニスタンから手を引いてタリバン政権に変わったことで、そのチャンスが訪れました。どうか日本の佐々木貴三子さんにこれらの遺品を届けて下さるようお願いします』と言って遺品を特派員に預けたのです。」
 一通り話し終わると中川氏は、自分の所属するテレビ局でアフガニスタン情勢の特集を組む予定なので、遺品を使わせてもらえないだろうか?定永龍男の恋人として登場してもらえないだろうか?等の話をもちかけてきた。
 私は、遺品を特集番組に使うことは構わないが、その時定永龍男の恋人として私や息子の名前を出すのはやめてほしいこと、私の写真は顔がわからないようぼかすなら使ってもよいこと等を中川氏に申し入れた。

アフガニスタンで死んだ父親

定永龍男は大学時代に交通事故で両親を亡くした後、同居していた祖母と二人暮らしだったが、その祖母も彼がアフガニスタンへ行く前の年には亡くなっており親戚付き合いもなかったので、彼は天涯孤独の身であった。
遺品の受け取り手は私と彼の忘れ形見であるリュウしかいないことは明白であった。
リュウにはまだ父親のことを話していなかったが、明らかに今のこの流れはリュウに父親のことを話しなさいというサインとしか考えられなかった。
リュウは15歳になっていた。父親のことを話すのは今しかない。そう考えて私はリュウと向き合う覚悟を決めた。
サダオさんの教え子だった定永龍男がしょっちゅう家に出入りしているうちに親しくなり、やがて男と女として愛しあうようになったこと、彼がアフガニスタンへ取材に出かけてしばらくしてリュウを妊娠していると気づいたこと、長い間行方不明だった定永龍男がアフガニスタンで死んだことが最近になってわかり、彼の遺品を受け取ることになったことを、私はできるだけ感情を交えず淡々と語った。
サダオさんにはあらかじめ相談して傍にいてもらった。
リュウは黙って聞いていたが、心の中が荒れ狂っていることは表情を見ているだけでわかった。
反抗期真っ盛りのリュウがどのような反応を示そうと、わたしはそれをそのまま受け入れるしかないと思っていた。
リュウは長い間黙って下を向いていたが、少し怒ったような表情を見せて、
「今は何も言えないし、わからない。もう自分の部屋へ行く」とぶっきらぼうに言ってリビングを出て行った。
「しばらくはきついはずなので、貴三子はリュウのことをそっと見守ってやれ。様子を見て何か話せそうなら、俺が話してみるから」とサダオさんは言ってくれた。
そのまま一週間が過ぎていき、リュウは食事の時もできるだけ私と視線を合わせないようにしていた。
そのような日々が続くある日、朝食後リュウが私に読んでくれと言って一通の手紙をテーブルの上に置いた。

「キミコさんへ
サダオさんが、現象界ではお父さんは僕のことを知らないけれど、潜象界では知っている。だから遺品『伝わるもの(亡くなった人の強い思い)が根源から強く出て』現象化し遺品が届いたのだと話してくれた。
サダオさんは、自分の教え子だったお父さんのことを色々話してくれた。
サダオさんと二人でお父さんのことをカタカムナ数霊で読み解いた。
アフガニスタンで死んだ父212→21+2=23『一方へ進み(21)振動する(2)愛(23)』
アフガニスタンで死んだ父親267→26+7=33『(生と死に)分かれて(26)調和する(7)愛(33をサンジュウサンとするとその数霊は185=18(ア)5(イ)で18+5=23)』
お父さんは、家族には恵まれなかったけれど愛情深い人だったとサダオさんは言っていた。カタカムナ数霊で読み解くとそのことがよくわかるよ。
お父さんの遺品のカメラの数霊は66で『次々と受容する』と読み解ける。カメラは心の数霊と同じ66なので、僕はお父さんの心であるカメラが欲しいと思った。    
もしお父さんの遺品を僕にもくれるならカメラを下さい。
追伸
ずっと話をしなくてごめんなさい。これからは普通に話します」
リュウはきっと心の整理がつかなかったのだろう。サダオさんが男同士として上手にリュウを導いてくれたのだと思うと、私自身も改めて父の愛を感じて涙ぐんだ。

エピローグ

五月五日子供の日、昨夜遅くまで仕事をしていたせいか目が覚めると既に十時を過ぎていた。
 リビングに残されたメモには、「おじいちゃんと一緒におばあちゃんと待ち合わせて出かけてきます。夜は三人で鰻丼を食べる予定です」と書かれていた。
 五月五日を55と考えると「伝わるものを伝える・生命の種」という思念となり、ウナドンの思念は「生まれ出る核が内部で強く統合する」と読み解ける。鰻丼は子宮の内部で精子と卵子が統合して生命の核(種)ができるエネルギーでもあるから五月五日の子供の日の数霊のエネルギーにぴったり合っているなぁと考えながらのんびりとコーヒーを飲んでいると、誰もいないはずの二階で物音がする。気になって二階に行ってみると、リュウの部屋の扉が少し開いていて光が漏れ出ている。部屋に入ると、床に竈炭治郎のフィギュアが転がっていて少し光っていたので、光の出どころはここだとわかった。
 フィギュアを拾い上げる時視線を感じたので炭治郎を見ると目が合い炭治郎が笑ったような気がした。その時「加具土」という名前が頭に浮かんだ。私は口に出して「加具土」と呼びかけてみた。すると、炭治郎いや加具土が今度ははっきりとにっこり笑いながら私に向かってウインクした。
 その時はとても嬉しかったけれど、その後はうんともすんとも何も言わないだけでなく動くこともなく、全く元の炭治郎のフィギュアに戻ってしまった。
 じっと待っていても仕方がないので、私はウインクをカタカムナで読み解くことにした。
 思念は、ウ(生まれ出る)イ(伝わるもの)ン(掛かる音を強める)ク(引き寄る)なので、「生まれ出て伝わるものに強く引き寄る」と読み解ける。そして数霊は、ウ(19)+イ(5)+ン(48)+ク(11)=83となる。83は38(届く)の逆数なので、逆数読みをすると「出す・送る」と読み解ける。
 果たして加具土は私に何を送り、私が強く引き寄った生まれ出て伝わるものとは何なのか?これという考えが思い浮かばなかったので、リュウが帰ってくるのを待って今日のことを話した。
「そんなことがあったんだね。加具土が久しぶりに炭治郎を依り代としてやってきたんだ。後で僕もコンタクトして聞いてみてわかったら教えるよ」
 リュウはまずは身を清めると言ってお風呂に入った。
 夜十時頃、リビングで梅酒片手に見るともなくぼーっとテレビを見ている私のところにリュウがやって来た。
 「ちょっと時間がかかったけど、なんとか加具土が出てきてくれて、最近お母さんが最も心を動かされて行動したことを思い出せば、そのことに絡んで自分のところに届いたものを誰かに送ったことを思い出すことができる。自分で気づくことに意味があると言っていた」
 それを聞いて私ははっとした。以前私が、父伊邪那岐に首を切られた加具土のことを読み解いた時、加具土はこのお礼は必ずすると言っていた。まさか定永龍男の遺品が私達の元に届いたのは加具土の力によるものなのか?そのことに関して正解はわからない。わからないけれど加具土の数霊は天照と同じ85なので、屋久島の益救神社で突然雲間から光が射して43が反転して34になり闇が光になるように、行方不明のまま闇に葬り去られるところだった定永龍男に光が射して彼の行方が明らかになり、遺品まで私のところに届いて私はそれをリュウとサダオさんに送った。
 現象界に生きる私達家族と潜象界のエネルギーである定永龍男と神話の世界が、一つに繋がっている。それはとても不思議なことであるが、それらを繋いでいるのは他の誰でもない私なのだ。私が全てを繋いで一つにしている。それらは全て私が心で思ったことだ。私が思ったことが私の目の前に現れている。見えない世界を一つに繋いでいるのは私の思いなのだ。言霊現象化とはそういうことなのだとその時気づいた。

私の思いが、私が生きる世界を創造している。カタカムナ。